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【沖縄県知事選】知事選2014前に知っておきたい9つのテーゼ

  • 星野英一 (琉球大学教授)
  • 2014年11月15日

沖縄の声が本土には届いていない。ここで言う「沖縄の声」とは、「米軍基地の段階的縮小」「地位協定の改定」「普天間基地の返還」「辺野古の新基地建設反対」「普天間基地の県外移設」といった在沖米軍基地に関する沖縄県民の多くに共有された意見・要求である。

◆沖縄の声

1996年の県民投票で「米軍基地の段階的縮小」「地位協定の改定」が投票者の89%、有権者の53%の票を得た。4年前の知事選挙においても、「普天間基地の閉鎖」「辺野古の新基地建設反対」が対立する陣営の共通の認識であった。

今年10月の沖縄タイムスと琉球放送の共同世論調査では、仲井真弘多知事が昨年12月に辺野古埋め立てを承認したことについて「反対」の意見が6割を越え、普天間問題の解決方法については合わせて8割近い回答者が「県外・国外」を選択している。仲井真知事の辺野古埋め立て承認にしても、「普天間の5年以内の閉鎖」が正当化の理由になっている。

しかし、「お金をもらっておきながら、辺野古は受け入れないなんて、沖縄はわがままだ」とある全国紙記者がつぶやいたと、沖縄タイムスの記者が書いている。「東京では、沖縄の基地問題は「カネ」や振興策と絡めて語られる。負担に応じた交付金、数々の振興策。カネを積んでいるのだから、沖縄には現状と今後の負担も甘受してもらうのは当然だという雰囲気は、想像以上だった」(「記者有論」朝日新聞、2012年3月27日)。

沖縄タイムスの社説もこのことを指摘している。「この40年を通して本土と沖縄の心理的な距離は、今が一番開いているのではないだろうか。基地問題をめぐって「心の27度線」が浮上しつつある」(沖縄タイムス、2012年5月15日)。2012年5月の琉球新報・毎日新聞共同世論調査で、沖縄県民に「本土の人たちが沖縄のことを理解していると思いますか」と尋ねたところ、「理解している」22%、「そうは思わない」63%の答えが返ってきた。

「値段を釣り上げるための基地反対運動だ」「沖縄の心情的・非現実的平和主義に付き合う暇は無い」との反感と、それすらも言わない無関心が沖縄の声を届かなくさせているのだろうか。

◆民主主義、不平等、差別、人間の安全保障>

では、どうすれば「沖縄の声」が届くのだろう。あるいは、どういう言葉なら届くのだろう。民主主義、不平等、差別などの言葉はどうだろうか。

上原康助元開発庁長官は、沖縄復帰40年式典で「民主主義」に訴えた。「最後に野田総理、駐日米大使、両閣下に強く申し上げたい。民主主義社会は世論を尊重することが基本です。なぜ、両政府とも沖縄県民の切実な声をもっと尊重しないのですか。」だが、地元のメディア以外ではこの発言は大きく取り上げられなかった。

上述の新報・毎日の共同世論調査によれば、「沖縄県に在日米軍基地の7割以上が集中している現状は不平等だと思いますか」との問いに対し、沖縄では69%の人が「不平等だと思う」と答えたのに対し、全国では33%の人がそう思うと答えた。

沖縄タイムス・朝日新聞が行った共同世論調査(2012年4月)で、「基地が減らないのは本土による沖縄差別か」という問いが設定された。これに対する答えも、沖縄と全国では大きく違っていた。沖縄50%に対し、全国29%が「その通りだ」と答えた。

そこで、私は「人間の安全保障」という言葉で状況を整理してみたhttp://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/123456789/26494/1/No15p023.pdf)。

沖縄における米軍の過剰なプレゼンスがもたらす「人間の安全保障」状況への影響を、犯罪、事故、騒音・生活環境に注目して概観し、「脅威からの自由」「人間の尊厳の保護」「戦争の記憶」という観点から、それが「人間の安全保障」問題であると主張した。西銘保守県政で副知事を務めた座喜味彪好が琉球新報の論壇(2014年6月30日)で「私たちは人間としての誇りを傷付けられてきた」と書いていたが、まさにその通りだろう。

◆辺野古移設は最も現実的な選択肢か?

ここでは、「沖縄の声が本土には届いていない」ことの中味を、どのように届いているのか、あるいは届いていないのはどの辺りなのか、検討してみようと思う。

読売新聞社説(2014年10月31日)は「辺野古移設は、基地負担の軽減と米軍の抑止力維持を両立させるうえで、最も現実的な選択肢だ」と移設推進を表明している。だが、

(1)辺野古での基地建設は負担の軽減にはならない。

普天間の老朽化した飛行場に代わって辺野古に造られようとしているのは、2本の滑走路の他に軍港や弾薬庫を持つ総合的な軍事基地である。「長期的で持続可能な米軍のプレゼンスを確かなものとする」と日米両政府が4月の共同宣言で明言にしているように在沖米軍基地を恒久化する政策に他ならない。多くの人が指摘しているように、沖縄県民が「負担軽減」を感じるのは、在沖米軍の兵員数、施設面積で3分の2を占めている海兵隊そのものが沖縄から出て行ったときだろう。また、

(2)辺野古での基地建設は米軍の抑止力維持とは関係がない。

沖縄に基地を置く理由について、森本敏元防衛大臣は「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適の地域だ」と述べ、辺野古についても軍事的、地政学的でなく、政治的状況を優先して決定したと述べた。佐藤学が指摘したように(琉球新報「時評2014」9月)、沖縄には極東最大の米空軍嘉手納飛行場があり、弾薬庫と合わせた面積は、県外の主要米軍基地(横田、厚木、三沢、横須賀、佐世保、岩国)全ての合計の1.7倍ある。嘉手納空軍基地だけで、沖縄は応分以上の負担を引き受けている。田原総一朗も指摘するように、現在の米国は「沖縄では嘉手納さえあればいい」と思っているはずだ。(ポリタス掲載の柳澤協二「沖縄県知事選で問われているもの」も参照)

◆基地がなくなれば、沖縄経済は立ちゆかなくなるか?

「基地がなくなれば、沖縄経済は立ちゆかなくなる」との主張は、もう少し腑分けする必要がある。まず基地の経済効果と補償型政治とを分けておこう。

県民総所得に占める基地関係収入(軍人・軍属の消費、軍用地料収入、基地従業員給与等)の割合は、1972年の本土復帰時に約15%だったものが近年では5%台に落ちている基地面積は県全体の10%、本島の20%なので、基地の「土地生産性」が低いことがわかる。県の「駐留軍用地跡地利用に伴う経済波及効果等検討調査」は、北谷町や那覇新都心の基地返還の経済効果を分析し、雇用・税収など経済波及効果が上がったと報告している(前泊博盛「基地経済」沖縄国際大学『沖縄経済入門』)。つまり、機会費用を考慮した

(3)基地の経済効果はマイナスである。

しかも「受益者」には偏りがある。年間500万円以上を得ている軍用地主は全体(約4万人)の8%に過ぎず、100万円に満たない人が54%を占めている。基地従業員は、県庁に次ぐ約9000人の雇用規模を誇るが、近年応募者は半減している。また、米軍施設を抱える自治体への国からの財政支援が歳入に占める割合は、宜野座村など5町村で20%を超える一方、那覇市など29市町村は5%にも満たない。このように、

(4)多くの県民は基地の恩恵とは無縁である。

◆経済を回すためには振興策が必要だ?

基地が成長する経済の主体にならないとすると、「基地がなくなれば、沖縄経済は立ちゆかなくなる」との主張は、補償型政治のそれであることになる。

米軍基地を特定地域へ集中させる見返りに、これを補助金や補償金で「納得」させるやり方を「補償型政治」(ケント・カルダー『米軍再編の政治学』)と呼ぶ。基地問題で国と対峙した大田昌秀知事の時代に国からの予算の流れがストップし、直後の知事選で「県政不況」と批判され敗れたことは、この議論の信憑性を高めた。

だが、全ての補助金・交付金に基地受け入れの条件が付いているわけではないし、政府といえども全ての補助金・交付金をストップさせることはできない。

従来の沖縄振興(開発)体制の下では否定されていた基地と経済の直接のリンクを打ち出したのが米軍再編交付金であり、典型的な「アメとムチ」の手法である。同様に基地に関連した北部振興策などの効果を尋ねられて、富川盛武は「明確な振興ビジョンがなければ、ハコモノに使うしかない。(中略)沖縄もここ十数年の経験で、

(5)振興策では持続的な発展ができない

と分かってきたのではないか」と答えている。

米軍再編・辺野古基地建設に反対する市長を2期連続で選出した名護市の有権者は、正義や良識だけではなく、富川が言うような生活実感の中から新基地に伴う振興策による利益よりも新基地受け入れの不利益が大きいと判断したのだろう、との宮城康博元名護市議の指摘に私も同意する。「金は要らないから、基地を持っていけ」と言える翁長雄志前那覇市長のような保守政治家の登場もこうした認識を共有しているからだろう。そして、

(6)基地がなくなっても、沖縄経済が立ちゆかなくなるわけではない。

県民1人当たりの地方交付税・国庫補助金合計額は復帰以降現在まで、全国4~21位で推移している圧倒的な基地負担にも拘わらず、トップになったことは一度もない。当たり前のことだが、基地を負担していない自治体に地方交付税・国庫補助金が来ないわけではない。

仲井真知事が「これで良い正月を迎えることができる」と言った3460億円の振興予算について、仲里利信元自民党県連顧問は、このうち「約1800億円は、国の事業や全国どこでもやっている事業であり、純粋な沖縄振興予算ではない」と指摘している。

それでも、「国からたくさん予算を取ってくる政治家が良い政治家だ」「仲井真知事でなければ予算は獲得できない」と考える首長や議員が多いのだろう。知事選のチラシには、仲井真3選を支持する市町村長が並んでいる。

◆どういう未来像を描くのか

基地と経済・開発の問題は、その社会がどういう未来像を描くのか、という問題でもある。「政府から8年間、毎年3000億円台の振興予算を確保」と言って「長期的に持続可能な米軍のプレゼンスを確かなものとする」未来像を描く人びともいるのだろう。だが、それとは違う未来像を描くことが、沖縄に問われている。

少し古い数字だが、梅村哲夫は国連開発計画の人間開発指数(Human Development Index)を用いて沖縄を世界の国々の中に位置づけている。梅村によれば、沖縄の生活水準は世界173カ国中20位前後で、イタリアやスペインと同程度であり、UNDPの人間開発高位国に分類される。

(7)沖縄は現在でもそれなりに豊かなのだ。

だが、沖縄で「格差是正」の声は根強い。沖縄タイムス社の県民世論調査(2007)によれば、「沖縄と本土には様々な格差がある」との見方に対して、87.1%の回答者が「あると思う」と答え、どのような格差を意識しているのか尋ねたところ、所得(48.1%)、基地問題(24%)、失業(17.2%)と、経済における格差を指摘するものが65%にのぼっている。これが補償型政治を機能させる一つの要因となっている(今年5月の朝日新聞の調査では、基地問題43%、所得24%、就職10%と順位が変わっているのが興味深い)。

◆どのような豊かさなのか

ただし、

(8)「より豊かに」という合意はあるものの、それが「どのような豊かさなのか」についての合意は形成されていない、

というのが現状だ。

「観光は平和産業。オスプレイが上空を飛び交ってリゾート地と言えるだろうか。辺野古移設は楽園の放棄だ」との県内ホテル大手のCEOの言葉もあれば、「沖縄が依存型の経済構造から脱し、観光や物流拠点としてアジアの中で競争力をつけていくことは、日本の「成長戦略」が目指す方向とも合致する」との見通しもある。

島袋純は、「振興策によって、沖縄は豊かになっていく」との常識に対して、ひも付きの高率補助による振興策は、人と人との相互信頼関係を破壊し、経済的活性化や社会的豊かさを損なうのではないか、との問題提起を行なった。「社会的豊かさ」には、単に物的なものだけではなく、自由や自立性、人々の連帯度など、目に見えないものも含まれているだろう。基地建設による自然破壊も豊かさを損ねる。

◆そばと三線と泡盛があれば……

岡真理は『棗椰子(ナツメヤシ)の木陰で』(青土社、2006)の中で、モロッコの山の中の棗椰子の林に囲まれたオアシスで出会った老人の言葉を紹介している。老人は行きずりの旅人である岡を家に迎え入れ、独り言のように、こう語った。

「若い者たちはみな村を出て都会に行きたがるが、都会に行ったところで仕事があるわけでなし…村にいれば、アッラーの恵みに不自由することはない、パンとミント・ティーと棗椰子があればじゅうぶん幸せに生きていけるものを。」

老人はグラスにミント・ティーを注ぎ、丸い大きなお皿に山盛りの棗椰子の実を勧めてくれた。

これは、焼き尽くされたバスラ(イラク南部の都市)の椰子の林が、そこで暮らしてきた人々にとって、大切な人生の一部であり、故郷の記憶の原風景であると言う記述への導入であるが、非常に印象的な記述になっている。

ミント・ティーが好きな沖縄育ちの私の妻に話したら、さっそく沖縄バージョンを編み出してくれた。

「そばと三線と泡盛があれば……じゅうぶん幸せに生きていけるものを」

◆選挙後の話

私はそばと三線と泡盛だけで幸せに生きていける自信はないが、海兵隊の去った沖縄で「それなりに快適な地方都市」を実現/維持できるなら、それは素晴らしいことだと思う。そのためには、米軍基地の段階的縮小を実現できるように、基地の跡地利用の仕方などに知恵を出し合って、「沖縄21世紀ビジョン」の中味を充実させていかなくてはいけないだろう。

新崎盛暉が「辺野古反対の最大公約数は一致している。権力側に要求するだけでなく、

(9)反基地以外の課題も含め重層的な最大公約数を形成するための民主的討議の訓練

が必要だ」と指摘しているのを、私はそう解釈している。

さて、私たちは2015年の良い正月を迎えることができるだろうか。

著者プロフィール

星野英一
ほしの・えいいち

琉球大学教授

琉球大学教授。東京生まれ。1990年から琉球大学教員(ただし、2000年から2004年までは東京女子大学教授)。著書に『ポスト冷戦と沖縄』(ひるぎ社、1993、共著)『Debating Human Rights』(Routledge、1999、共著)、『沖縄「自立」への道を求めて』(高文研、2009、共著)、また論文「沖縄の米軍基地問題と人間の安全保障」(琉球大学『政策科学・国際関係論集』第15号、2013)など。

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