1972年の本土復帰の際はもちろん、その後何回も盛り上がりを見せた米軍基地反対運動において、我々日本人の多くは沖縄を共有していた。ひめゆり学徒隊の悲劇もまだ記憶に生々しかったし、私たちは沖縄を「意識」してきた。
その状態があるときから消えた。沖縄はリゾートのイメージとして消費され、横たわる政治的歴史的な問題は「邪魔」なものとされた。
今、ネットの中を見れば、基地反対運動に携わる人々が様々にレッテル貼りされ、嘲笑されている。脱原発や反差別運動に対するのと全く同様の表現による排斥であり、つまり問題意識それ自体を非共有化されているのである。別物として遠ざけてられている。「存在の否認」と言ってもいい。
「否認」とは在るものを無いことにする、あるいは無いものをあることにする精神状態で、つまり真実にうすうす気づいているからこそそれの受け入れを無意識がやけになって拒むのである。正視を避けるわけだ。
現在、沖縄の矛盾への「否認」が、別次元の「否定」に入り始めている。沖縄という矛盾がなかったことにするには、集団的自衛権を認め、米軍基地を正当化すればよいと考える人たちが力をふるい始めた。沖縄の歴史を「否定」することでその動きは成り立っている。つまり沖縄問題こそが本土を動かそうとしているのだ。この事実を共有しなければならない。「共有」の鎖が切られている中で。
私たちの歴史を沖縄が握っているのだから。まるで第二次大戦末期のように 。
そして「否認」を終わらせる方法にはもうひとつ、「絶対平和」という道もあることはすでに1945年、憲法9条に示されているのだが、これもキャンペーン的にまさに「否認」されている。