11月16日に投開票の沖縄県知事選では4人が候補となっているが、現実的には2候補の争いになる。現職・仲井真弘多(75)と前那覇市長・翁長雄志(64)である。私の予想では、翁長が勝利し、沖縄県と日本国政府は泥沼のような状態になる。
地方選挙では現職に瑕疵がない限り有利になるものだが、今回の沖縄県知事選では現職の仲井真は追われる立場にある。彼に「よほどの瑕疵」でもあったのか。その評価が難しい。
当初の姿勢を崩し、普天間飛行場代替基地として辺野古移設を容認したことが彼の最大の瑕疵であるという意見も多く、また今回の沖縄県知事選ではそれが争点だと見るむきも多い。辺野古移設について、仲井真が推進派、翁長が反対派と色分けして議論されがちである。しかしこの単純化こそが、今回の沖縄県知事選挙を論じる上での錯誤になっている。
◆沖縄県知事の辺野古埋め立ての裁量権は限定的だろう
仲井真が辺野古移設推進派と見られるのは、辺野古埋め立てを承認したことによる。この承認の意味合いをどのように受け止めるかは、現在進行中の訴訟(通称、辺野古埋立承認取消訴訟)で明らかにされてきている。
訴訟は、仲井真知事による公有水面埋立承認処分の取消しとその執行停止を求めるもので、辺野古周辺住民中心が原告となり、沖縄県を被告としている。すでに4月、7月、9月と弁論が行われ次回は11月26日となり、その間にこの沖縄県知事選が来ることになる。
原告・住民の主張では、埋立承認が公有水面埋立法4条及び42条3項に反するとし、執行停止に関しては原告に損害があるとしている。特に、第4条要件中「環境保全への十分な配慮」と「適正で合理的な国土利用」に県が反するとしている。
対する被告側沖縄県の主張は、そもそも承認には処分性がなく、また原告には原告適正がないとする。執行停止に関してもこれに準じて損害はないとしている。
要点は、辺野古埋め立ての裁量権の適用範囲である。原告としては裁量権によって辺野古埋め立てが阻止できるとの前提に立っているが、被告の沖縄県側はそこまでの裁量権はないという前提に立っている。
公有水面埋立法は大正10年(1921年)成立と古く、かつてこの承認の裁量権で裁判で争ったこともないため、裁量権がどこまで及ぶのかは判例的に明確になっていない。
法学的な議論で定まった意見はないものの、私の考えでは恐らく沖縄県が正しい。理由は、公有水面の埋め立て権は本来国側にあり、承認手続きは基本的に法定受託事務として県が分業していると見られるためだ。
それでも県側に裁量権は存在するので不承認が可能だが、その場合、明白な理由付けが必要になる。今回の裁判は、その不承認理由の明白さが問われる。
以上の裁判の構図からわかるように、裁判上の問題は環境保全のあり方に集約される。しかし実際のところは、辺野古埋め立ての反対派と限らず、反対という主張に傾く人の目標は、実質の新米軍基地建設の阻止であり、司法の枠組みでの主張は二次的なものである。なお沖縄県側としては、昨年11月には「生活や自然環境保全への懸念を払拭できない」としたが、その後はこれを解消した建前になっている。
こうした辺野古移設不承認の動向をごくざっくばらんに言えば、「ジュゴン」と「珊瑚礁」の保護を理由に辺野古埋め立てを阻止するということになる。しかし、その方向で阻止を望むのは難しいだろう。現状は、本来の辺野古移設反対論(沖縄と日本本土を含めた安全保障の枠組みのなかで辺野古移設の必要性がないとする議論)の手段が目的に変質し、無謀な行軍を進めているようにさえ見える。
◆辺野古移設の重要性は存外に少ない
他方、日本政府による推進派についても同様に無謀な行軍を進めている。政府としては普天間飛行場代替基地建設という名目で基地縮小が実現できるとの看板を掲げているが、実際には、返還当初には想定もされていなかったオスプレイ配備や、秘密裏に進められた交渉の結果として、全長250メートルの超大型船が係留できる岸壁や航空機に弾薬を搭載するエリアなど軍港が整備される。さらに高速輸送船(HSV)配備も計画段階にあると見られている。つまり実質は普天間飛行場とは異質な基地新設になっている。これらは米海兵隊の要求によるものでもあるが、米国軍事の大きな枠組みに十分に合致しているかというと、そうとも言い切れない。
象徴的なのが米国の安全保障に一定の影響力を持つ米ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授の提言である、一般向けに書かれたハフィントンポスト寄稿でも、沖縄県を巻き込む日米の新しい安全保障の枠組みに懸念を表明している。
But the process must be handled carefully. As China invests in advanced ballistic missiles, the fixed bases on Okinawa become increasingly vulnerable. To avoid the perception that the U.S. decided to turn the bases over to Japan just when their military benefits were diminishing, and to ensure that the move represented America’s recommitment to the alliance, a joint commission would have to be established to manage the transfer.
(日米同盟強化の)過程は慎重に扱わなければならない。中国が高度な弾道ミサイルに投資するにつれ、沖縄に固定された基地はますます脆弱性を高めることになる。基地の軍事的利点が減少しているなか、米国がこの基地を日本に返還すると決定したと見られるのを避けるために、かつ、この変更が米国の同盟国への再関与を示しているのだと明示するために、転換を運営する合同委員会を設立するべきだろう。
For Japan, becoming an equal partner in its alliance with the U.S. is essential to securing its regional and global standing. To this end, Abe’s modest step toward collective self-defense is a step in the right direction.
日本にとって、米国との同盟で対等なパートナーとなることは、その地域と世界での立ち位置を安定させるために重要である。この目的のために、安倍が集団的自衛について謙虚に踏み出すことは、正しい方向に向かっていることである。
ナイが簡素に示したビジョンが米国の今後の東アジア戦略を代表するとまでは言えない。だが、日本で議論されにくい重要な指摘がある。まず、沖縄の軍事基地機能の縮小は、中国の弾道ミサイル計画に準じたものであるということだ。次に、この脅威に備えるためには、日本国が米国の軍事同盟にきちんと関与していくことが必要だということである。裏面から言うなら、沖縄の基地は日米安保の強化のためにこそ、縮小されなければならないということである。
しかし、日本政府はこの理解を日本国民全体に求めるのではなく、沖縄に基地を新設することで、米国への軍事同盟の忠誠を米国に向けて示そうとしているのが現状である。沖縄を安全保障問題として日本政府が焦点化するのは、日本国の安全保障の論点を覆い隠すためでもある。
ただし、辺野古の新基地については、台湾有事などを含めた直接的な対アジア戦略というよりも、嘉手納空軍基地を弾道ミサイルから防御するための意味合いがあるのかもしれない。
◆翁長が沖縄県知事になってから起きる泥沼
翁長は、沖縄タイムスの報道によれば、辺野古沿岸部の埋め立てについて「手続きに法的な瑕疵があれば取り消しは可能で、十二分にあり得る」と指摘し、承認の撤回も選択肢の一つとして検討する考えを示した、とのことだ。曖昧な表現なので、知事になってから辺野古埋め立て承認を取り消すかどうかは明確にはわからない。
だが、辺野古埋め立て反対派の少なからぬ支持を得て知事選で当選するとなれば、「取り消しは不可能だった」と率先して言うことはないだろう。また、同紙によれば、米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への新基地建設についても「あらゆる手法を駆使して辺野古に新基地は造らせない」との公約を掲げていることもあり、翁長が沖縄県知事になってから起きるシナリオとしては、沖縄県が日本政府と争うことが想定される。
これを法廷闘争に持ち込んだ場合、決着を見るまでどのくらいの時間がかかるかは不明だが、仮に早期に決着がついても、おそらく国が泥を被った形で基地新設を強行することになるので、さらに沖縄県民感情を悪化させることになり、沖縄と日本本土の関係は泥沼化するだろう。日本の安全保障上の問題もあるだろう。先に引用したナイの主張はその泥沼的な事態を先取りして出されたものだと言える。
他面、国側が本年度中に辺野古新基地建設を強行に着工したとしても、実際の使用開始は2023年と見られ、危険回避が急務である普天間飛行場の機能停止までまだ10年近い年月を要する。この間、普天間飛行場の危機状態が継続する。異常とも言えるのだが、この基地は米国本土であれば設置基準をそもそも満たしていないために即座に機能停止となる。にも関わらず普天間飛行場の機能停止は日米合意に盛り込まれていない。
◆そもそもなぜ仲井真が立候補したのだろうか?
マスメディアやネットでは普天間飛行場の辺野古移設反対派の声が際立つため、仲井真知事が辺野古移設推進派とされて批判されることが多い。しかし、中立的にかつ継続的に仲井真を注視すれば、彼が辺野古移設を推進したことはない。その主張の主眼は、普天間飛行場の撤去であり、そのための代替基地建設は沖縄県外であるべきだと一貫している。
そもそも仲井真は、本土の東京大学を卒業後、通商産業省に技官として入省し、それなりに重要なポストを歴任した有能な官僚であり、米国勤務の経験ももつ国際派でもある。官僚の手の内は熟知しているし、米国がどのような国であるかも知悉した人物である。その上で、日本政府と対決してまで今日の沖縄の基地問題の局面を切り開いてきた大田昌秀元沖縄県知事の下で副知事を務めた経験もある(ただし1993年まで)。仲井真知事は日本本土でいう保守派でもなければ、沖縄ナショナリストでもない。
仲井真の辺野古移設についての心情が明らかになったのは、2007年防衛省が環境現況調査に着手するにあたり海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」も近海に待機した件である。彼は「銃剣を突きつけているような連想をさせ、強烈な誤解を生む。防衛省のやり方はデリカシーに欠ける」と述べた。日本本土の人間には「銃剣」という言葉は凡庸な比喩に聞こえたかもしれないが、沖縄県民にしてみれば、「銃剣とブルドーザー」の「銃剣」であり、米軍の強権をもって沖縄を蹂躙した象徴でもあった。簡単に言えば、仲井真は日本政府のやり口に戦後占領の米軍を重ねて見ていたのである。
また彼は、辺野古移設を推進することと、普天間飛行場の危険性除去という最大の問題が分離できることも理解していた。なにより普天間基地の機能停止は沖縄行政の急務なのである。すでに予兆的な事態も起きている。2004年8月13日普天間基地所属の大型輸送ヘリコプターCH–53Dが沖縄国際大学に墜落し炎上した。沖縄国際大学に隣接している住宅地であれば県民の死傷者を多数出したことだろう。このことを沖縄県民は日常的に危惧している。ヘリコプターというのは落ちるものである。オスプレイの安全性がどれほど高まったとしても、ヘリコプターより少しマシかという程度にすぎず、僅かな事故の確率でも10年の期間で見れば必ず落ちる。ゆえに、米国であれば米軍基地の周りに所定の安全域を設定することが義務づけられている。逆説的だが沖縄の施政権が日本に返還されなければ普天間飛行場は早々に撤去されていたはずである。
こうして見ると仲井真の基地問題対処に目立った瑕疵があるとは私は思えない。しかし、彼が3期目に出馬表明することは、端的に言って非常識極まりない。年齢が75歳と高齢であることに加え、脳梗塞や急性胆嚢炎も経験して長期に公務を休むこともあった。身体的にあと4年も、激務の沖縄県知事が務まるとは思えない。ゆったりとした暮らしのなかで回顧録を書くべき時期だろう。
残る疑問は、なぜ仲井真は後身を育成しなかったのかということだ。あるいはなぜ翁長を後身とすることができなかったのか。翁長は長く自民党所属(新風会)であり現在のように左派勢力に支持されるような政治家でもなかった。仲井真の後身であってもまったく遜色はない。仲井真が立候補することで対立構図のなかに翁長が追い込められ、反米軍基地票を結果的に吸い込むことになった。
今回の沖縄県知事選の最大の謎は仲井真の立候補であると言ってよい。彼を強いる大きな利権があるのだろうか。3期目での退任を表明しながら東京都知事選挙に79歳で出馬した石原慎太郎のように自分の権力への愛着が捨てられず孤立しているのか。
私が今回の沖縄県知事選で一番知りたかったのはそこである。沖縄県に8年暮らし、そこで4人の子どもをもち、沖縄地域社会の一番根深いところまで覗いたつもりだった私でもそこはもう見えなかった。