ポリタス

  • 3章
  • Photo by Jitze Couperus (CC BY 2.0)

「日本核武装論」は机上の空論である

  • 小川和久 (静岡県立大学特任教授 / 特定非営利活動法人国際変動研究所理事長 / 軍事アナリスト)
  • 2015年6月11日

『ポリタス』編集部からの依頼は、潜在的核武装技術と原子力発電の関係について、以下の3つの要素を視野に入れて執筆せよというものである。

1)日本の核武装の現実性(技術力・開発期間・NPT=核拡散防止条約との関係など)

2)日本の潜在的核武装技術保持による抑止力の実効性

3)潜在的核武装技術保持するために、原発の新・増設やリプレースを行い原発を維持すべきか

しかしながら、いわゆる「日本核武装論」をリアリズムの観点からながめると、「ナンセンス」としか言いようがない。設問自体が根拠のない一般論でしかなく、成り立たないからである。

「日本核武装論」は机上の空論に過ぎない

結論的に言えば、「日本核武装論」は机上の空論に過ぎない。国家国民を挙げての決意があれば、日本核武装の可能性はないわけではないが、それを追求する意志が備わった国民性なら、戦後10年ほどの間に実行していただろう。以下、「日本核武装論」が非現実的だとする理由を述べさせていただく。

ここでまず必要なことは、日本の防衛力の現実を直視することである。それを抜きにしては、いかなる議論も机上の空論に過ぎなくなるからだ。

日米同盟と自衛隊

日本の防衛力を形成する自衛隊の戦力構造は、一般に考えられているものとは異なり、自立できない構造である。これはドイツも同じで、戦後の再軍備のときに米国が自立できない構造に規制し、日本は米国との同盟関係、ドイツの場合はNATO(北大西洋条約機構)との同盟関係によって初めて、自国の安全を保つことができる形になっている。


出典:北大西洋条約機構(NATO:North Atlantic Treaty Organization)の概要(外務省)

外科手術で右足を切除され義足を履かせてもらっていないのが日本とドイツの軍事力の実態である

たとえはよくないが、人間の身体に置き換えれば外科手術で右足を切除され、義足を履かせてもらっていないのが日本とドイツの軍事力の実態である。そこにおいては米国と肩を組まなければ自由に歩くこともできないし、日本の場合は仮に現在の10倍、100倍の防衛費を投入できたとしても、海を渡って外国に侵攻することは逆立ちしてもできないのである。むろん、米国と同じような形の軍事力を持たない日本は、その軍事力で米国に助力することはできないし、米国もそれを期待してはいない。

その一方、日本列島は米国本土と同じ位置づけの戦略的根拠地(パワープロジェクション・プラットホーム)を形成し、日本列島に展開する83カ所の米軍基地は太平洋の日付変更線からアフリカ南端の喜望峰までの「地球の半分」の範囲で行動する米軍を支えている。置かれている出撃、補給や輸送などの兵站、情報の機能も米本土に近いレベルで、企業にたとえれば他の同盟国が支店や営業所のレベルなのに対して、日本だけが本社機能の相当部分を担っているのである。

当然ながら、他の同盟国は日本の代わりを果たすことができず、米国は日本が日米同盟を解消する事態を懸念し続けてきた。日米同盟解消ともなれば、米国は世界のリーダーの座から滑り落ちるおそれがあるからだ。

そうであればこそ、米国は尖閣諸島問題に関して、「尖閣諸島問題といえども米国の国益であることをお忘れなく」(2012年9月、パネッタ国防長官)、「中国は米国と日本が『特別な関係』にあることを理解すべきだ」(2013年6月、オバマ大統領)と、習近平国家主席に警告してきたのである。

このように、米国にとっての日米同盟の戦略的価値は抜きん出ており、米国から見て最も対等に近い、つまり双務性の高い同盟国は日本であることは、紛れもない事実である。筆者は、この現実を正式な調査によって1984年に明らかにしたのだが、詳細については、近著『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書)でも触れているので、関心のある向きはご参照いただきたい。これを見れば、米国が日本の軍事的自立につながりかねない動きを認めることはあり得ないことがわかるだろう。

「敵地攻撃論」と「核武装論」のリアリティー

核武装問題に入る前に、いまひとつの日本の軍事的自立が前提となる問題として、「敵地攻撃論」のリアリティーから考えてみよう。

北朝鮮の核兵器と弾道ミサイルの開発に対して、北朝鮮に対する先制攻撃能力や核兵器による反撃能力を持つべきだとする世論が頭をもたげるのは、当然のことかも知れない。

しかし、その場合には同盟国である米国の立場で考える視点が不可欠となる。米国が、日本が敵地攻撃能力という「戦争の引き金」を持つことを認めるか、という問題を忘れてはならない。認めれば、場合によっては、米国は望まない戦争に引きずり込まれるリスクを背負い込むことになる。だから、何があっても米国のコントロール下にある形でしか敵地攻撃能力を認めることはない。従って、日本が本格的な敵地攻撃能力を備えるには、日本からの日米同盟の解消が前提条件となる。


Photo by Chairman of the Joint Chiefs of StaffCC BY 2.0

同じように核武装論も、リアリティーという観点から整理し直す必要がある。

しばしば核武装論者が口にするのは、「核兵器を持つだけですむから、効果的で安上がり」という「根拠」だが、実は自国の核兵器を敵国の攻撃や破壊活動から守ることができなければ、核兵器の抑止効果は生まれないことが忘れられている。核兵器を守るには高度の通常戦力が必要で、決して安上がりにはならないのだ。

研究者の試算をもとに、日本における核武装論のリアリティーを検証してみよう。

2012年6月、毎日新聞社から『コストを試算! 日米同盟解体―国を守るのに、いくらかかるのか―』という本が出版された。著者は防衛大学校安全保障学研究会の武田康裕武藤功の両氏。武田氏は防衛大学校の国際関係学科兼総合安全保障研究科教授、武藤氏は同じく公共政策学科兼総合安全保障研究科教授である。

この本は、日本が日米同盟を解体したり核武装したりした場合のコストを緻密に試算しており、非常に興味深い内容となっている。

両教授の試算は、日米同盟の解体コストを年に22兆2661億円~23兆7661億円とし、現在の日米同盟を活用した防衛力の在り方が費用対効果に優れ、現実的であることを裏づけている。

核武装については、独自に核戦力を持つためのコストと、核武装したときの代償として引き受けなければならないコストに分けて計算している。

日本が独自の核戦力を持つことについては、日本の地勢的な条件から、残存性が期待できる、つまり抑止力として機能する戦略核戦力は、原子力潜水艦(SSBN)をプラットフォームとする潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)だけだ、としている。そのコストを推定するとき参考になるのはイギリスで、1隻あたりトライデントIIミサイル(D5)16基と核弾頭48発を搭載する原子力潜水艦4隻をローテーションで運用しており、コストの総額は約3兆円、年間のランニングコストは約3000億円という。

そこで同書は、3000億円だけを見れば護衛艦3隻の建造予算を下回り、一見すると安上がりなようだが、現実には日米同盟の恩恵を受けている部分を日本独自に補わなければならず、その巨額さから「核武装は決して安価ではない」としている。


Photo by iStock

核武装の代償については、コストこそ計算していないものの、日本があえて核武装に踏み切る場合のデメリットを列挙している。代償はNPT(核拡散防止条約)からの脱退にとどまらない。唯一の被爆国として軍縮分野で積み上げてきた日本の信用は地に落ち、外交的に孤立する結果、「核武装は、非核政策以上に安全保障水準を低下させる事態を招くことになる」というのである。

そして、核を持ったときのほうが、核を持たないときよりも、日本の安全保障水準が低下してしまう理由を4つに整理している。要約しておくなら、

(1)核戦力の開発から配備までの間、日本は米国による核抑止力を失う結果として、核の脅威に対する抑止力をほとんど持たない状況に置かれる

(2)日本はNPT(核拡散防止条約)違反で経済制裁を受け、経済・食糧安全保障に大きな打撃を受ける

(3)核武装した日本はアメリカからも敵性国家と見なされかねず、日米関係の悪化が米国の軍事技術に大きく依存してきた通常兵器の調達・運用を著しく困難にする

(4)核武装が北東アジアにおける軍拡競争を引き起こす

技術先進国の日本である。せいぜい3年もあれば、核兵器の保有は技術的には可能だという研究があることは事実だが、これは外国の干渉や妨害、そして予算などの制約という要素を無視した話で、並行して弾道ミサイルの開発も必要なことも忘れられている。秘密裏に核と弾道ミサイルの開発を進めようにも、日本は最高機密であるイージス艦の情報が漏れてしまう国である。可能性は限りなく低い、といわざるをえない。

「核の傘」か「核武装」か

核武装は国民生活にも深刻な影響を与える。核武装に踏み切れば、日本はNPT(核拡散防止条約)を脱退し、核燃料供給に関する日米原子力協定も破棄せざるをえず、原子力発電用のウランを輸入できなくなる。供給済みのウランは返却することが義務づけられている。核燃料の国内備蓄が2.35年分ほどしかない日本は、いずれ原子力発電を断念しなければならず、国民生活の水準が大幅に低下することは避けられない。

日本の核武装は、その費用対効果という点で、核の傘を代替する現実的な選択肢とはなりえない

同書は「以上の代償を考慮すると、日本の核武装は、その費用対効果という点で、核の傘を代替する現実的な選択肢とはなりえない」と結論している。保守の論客の中には、イタリアなどNATOの5カ国が米国から核兵器の国内展開と自国軍による運用を、米国の監督の下で認められてきた「ニュークリア・シェアリング」と同様な形であれば、日本も核武装は可能とする意見があるが、これも間違いである。

ニュークリア・シェアリングは、もともと大挙して押し寄せてくるソ連軍の戦車や航空機を撃破するための、核爆弾や核弾頭型地対空ミサイルなど小型の戦術核兵器に関するものだ。北朝鮮、中国、ロシアと対峙する日本が保有を考えるのは核弾頭型トマホーク巡航ミサイル(米国は既に廃棄)のような準戦略兵器のレベルである。これまた日本の軍事的自立を前提条件とする話で、日米同盟を続ける限り、米国が保有を認めることはあり得ない。


Photo by The SearcherCC BY 2.0

このように、核武装は日本の軍事的自立を意味しており、実現するには、敵地攻撃論と同様に日米同盟の解消が前提となり、年に20兆円規模のコストを負担しなければならない。周辺諸国では、日本の軍事的自立への反発が高まり、国際的な孤立というリスクも覚悟しなければならない。

以上を考えれば、日本の核武装と原子力発電の継続に関する議論はリアリズムとは対極にある妄想のようなものだ。日本の原子力発電は、あくまでも次世代エネルギーの確保までの代替手段として位置づけ、日本自ら世界的な原子力安全策の追求に注力することを基本とすべきだと考える。

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著者プロフィール

小川和久
おがわ・かずひさ

静岡県立大学特任教授 / 特定非営利活動法人国際変動研究所理事長 / 軍事アナリスト

1945年12月、熊本県生まれ。陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了。同志社大学神学部中退。地方新聞記者、週刊誌記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。外交・安全保障・危機管理(防災、テロ対策、重要インフラ防護など)の分野で政府の政策立案に関わり、国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員、日本紛争予防センター理事、総務省消防庁消防審議会委員、内閣官房危機管理研究会主査などを歴任。小渕内閣ではドクター・ヘリ実現に中心的役割を果たした。電力、電話、金融など重要インフラ産業のセキュリティ(コンピュータ・ネットワーク)でもコンサルタントとして活動。2012年4月から、静岡県立大学特任教授として静岡県の危機管理体制の改善に取り組んでいる。 ◇主な著書: 『日本人が知らない集団的自衛権』『中国の戦争力』『それで、どうする!日本の領土これが答えだ!』『東日本大震災からの日本再生』『もしも日本が戦争に巻き込まれたら!』『この一冊ですべてがわかる普天間問題』『14歳からのリアル防衛論』『陸上自衛隊の素顔』『日本の戦争と平和』『日本の「戦争力」VS中国、北朝鮮』『日本の「戦争力」』『日本は「国境」を守れるか』『危機と戦う――テロ・災害・戦争にどう立ち向かうか』ほか多数。

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