ポリタス

  • 2章
  • Photo by Nuclear Regulatory Commission (CC BY 2.0)

原発新設で安全性は高まるか?

  • 佐藤暁 (原子力コンサルタント)
  • 2015年5月26日

原発の全貌と歴史

直径約5.2m、高さ約3.7m。最も狭義な定義によれば、これが電気出力135万kW用の原子炉である。たったこれ1個から取り出される電気によって、たとえば鳥取、島根の両県民が、1kWのヘヤードライヤーを全員同時に使うことができる。しかも4年間にわたって。それが石炭火力発電所ではどうだろう。毎週6万トンを積んだ石炭船が入港し、どんどん燃やされ続けて排出されるガスには、CO2はもちろん、二酸化硫黄、窒素酸化物、微細な粉塵と水銀などの有害な重金属が少なからず混じっている。皮肉なことに、年間30万トンほども発生する石炭灰には、濃縮によってかなりの濃度の放射性物質さえ含まれている

CO2を同化作用で回収し温暖化を抑えてくれるはずの森林は酸性雨で蝕まれ、さまざまな生物にとっての生活圏が奪われ、やがて洪水を起こして自らと他国の人々の生活まで脅かす。人口が爆発的に増えていくというのに、食糧を生産する耕地は削られていく。


Photo by NASA Goddard Space Flight Center (CC BY 2.0)

原発の出現は、オイルショックだけではなく、そんな地球規模でのエコロジーの破綻に対する危機感の最中だった。救世的な新技術だと信じて就学、就職した人々も多い。広島や長崎に投下された原爆の何千倍もの放射能を内蔵するとの形容で、危険を訴える声は当初からあった。しかし、止めて冷やして閉じ込めることさえ万全に対応できれば問題はない。原子炉は、頑強な鋼鉄製の圧力容器に入れられ、それを格納容器に閉じ込め、その周りには多重の安全設備を配し、原子炉建屋に格納した。縦横高さ、各数10mの直方体になったが、それでも、1kW・135万人・4年間という膨大なエネルギーの生産容量を思えば、文句はない。


Photo by Nuclear Regulatory Commission (CC BY 2.0)

原発新設の是非を安全性の視点だけから論ずることはできない。まずはその全貌と歴史を大まかに見てみよう。たとえば、互いに矛盾した特徴の組合せで織りなされている現実を幾点か整理してみることで、このテーマに対する良い答えのヒントが見つかると思う。

(1)低密度のダーティ・エネルギー?

高密度のエネルギー。しかし、その原子炉の周り半径0.4マイル(640m)が立入制限区域、半径3マイル(4.8km)が低人口地帯とされ、近くに25,000人以上の町がある場合には、その外れから4マイル(6.4km)以上離れていなければならず、その空疎な周辺の土地利用を考えれば、原発が誇るそのエネルギー生産密度の高さはかなり希釈される。さらに半径10マイル(16km)と50マイル(80km)は緊急計画地帯(EPZ)と指定され、そのうち半径10マイルのEPZの場合には、迅速な避難を要求される可能性がある。

ところが、福島事故が実証した原子炉事故の影響は、このようなEPZの巨大な円さえ大きく超え、関東地方の野菜畑や茶畑、公園などを広範に汚染させた。


Photo by 津田大介 (CC BY 2.0)

そして数日後には、放射性ヨウ素が、はるばる1万4000km彼方の米国東海岸でも検出され、最近は、太平洋に垂れ流された放射能が横断し、アラスカからカリフォルニアまで北米大陸の西海岸沿岸に辿り着いている。はたして原発は、高密度のエネルギー生産施設で、環境に優しいと言えるだろうか。

(2)意外とローテク技術

原子力は、その異次元のパワーを爆弾として発揮する形で出現してしまったため、そのイメージを変えるべく、平和のための原子力(Atoms for Peace)が提唱され、たちまち百花繚乱の兆しを見せた。


Photo by Nuclear Regulatory Commission (CC BY 2.0)

原発は多様化や画期的な進化が起こり難い技術なのである

原子力を利用した自動車エンジン、ジェット・エンジン、ロケット・エンジンの開発が模索され、巨額が投じられたが、結局すべて成功しなかった。客船・貨物船も一隻が就航しただけで終わった。結局、空母、潜水艦、原発だけに絞られ、民生用は原発だけとなった。10を超える炉型が考案され、実験炉や実証炉が作られた。溶融塩炉、高温ガス炉、高速増殖炉も含まれる。しかし、やがて、軽水炉重水炉黒鉛ガス炉だけに絞られ、そのうち黒鉛ガス炉も淘汰されようとしている。原発は多様化や画期的な進化が起こり難い技術なのである。

そして、日進月歩のハイテク技術が入って来ないレトロの世界でもある。さすがに真空管はないにしろ、ソフトウェアではない、たくさんのリレーを組み合わせたごっつい制御回路が残っていたりする。もちろん、機械設備のメンテナンスは、レンチを使いハンマーを振り、人力作業が主となる。「質量保存の法則」が成り立たない超自然のエネルギーを生み出す設備も、意外と地味なのである。


Photo by 新津保建秀

せっかくいいアイディアを思い付いても、それが採用されるまでに長い年月がかかり、完成するまでの手続きと工事に10年もかかる。果たしてそのような原発は、若い技術者の夢を掻き立てる産業分野と言えるだろうか。

(3)Peace for Atoms?

米国では、本来、生活向上のため人間に仕えるべき原子炉が、最新式の武器(兵器?)と150人もの屈強な戦闘隊員達によって護られている。狛犬に護られる神社、スフィンクスに護られるピラミッドのように、神聖なものであるかのように。

幕開けはAtoms for Peaceだったが、いずれPeace for Atomsを祈らなければならない時が来るかもしれない

これは、今やテロも原発に対する重大な脅威となってしまったからである。自爆テロ、航空機テロ、サイバー・テロ、バイオ・テロ、それらのさまざまな組み合わせと形態が考えられる。その先には、テロの規模を超える本格的な戦争が脅威となる可能性さえある。原発の上空を戦闘機が飛び交い、ミサイルが放たれるような事態は、絶対に起こらないと言えるだろうか。もし起こってしまえば、原発自体、核兵器のようなものとなってしまう。幕開けはAtoms for Peaceだったが、いずれPeace for Atomsを祈らなければならない時が来るかもしれない。


Photo by Nuclear Regulatory Commission (CC BY 2.0)

(4)学習効果で生産コストがアップ?

カラーテレビ、エアコン、電子レンジ、パソコンが初めて市場に出た頃の値段は、どれも当時で20万円くらいした。いまや今のカラーテレビの画面は薄型化・軽量化が進み、消費電力も減った。エアコンは、ヒートポンプ方式の省エネは当たり前で、フィルターは自動洗浄、風向風速も自動調整だ。電子レンジには膨大な調理メニューが付いている。パソコンは、スピードも容量も激増した。その上、どれも値段が遥かに安くなった。技術革新と学習効果の賜物である。


Photo by Navy Medicine (CC BY 2.0)

他方、原発はどうか。米国の場合、ほぼ同サイズで平均的な建設コストを比べると、1970年代初めは1億7000万ドル、約10年後の1983年になると10倍の17億ドルに。そしてその約5年後には更に3倍の50億ドル。それぞれの期間中の物価の上昇は、2.2倍と18%であり、原子力における学習効果は、他の産業とは異なり、著しいコスト・アップとなっている。結局、原子力の学習は、「あれも足りないこれも足りない、あれも増やそうこれも増やそう、あれも管理しようこれも管理しよう」の積み重ねだったため、このような結果となってしまい、今もとどまるところをしらない

建設コストばかりではない。NRCの規制コストを見ると、2000年に職員数と年間予算がそれぞれ2800人、4.7億ドルだったのに対し、2010年には4000人、10.67億ドルとなっている。それだけ規制業務が増えたからである。


Photo by Nuclear Regulatory Commission (CC BY 2.0)

意地の悪い見方に思えるかもしれないが、結局、これまでの原発の歴史を振り返ってみると、発展や進化というよりも、安全性と経済性の狭間で本来の能力を活かしきれないまま萎縮し、斜陽に向かっているイメージも浮かんでくる。このような特徴も頭の中に入れておこう。

原発の安全を巡る3要素

次に原発の安全性について考えてみよう。

戦の勝機の「天・地・人」を真似てではないが、原発の安全性も、「立地環境」と「設計」と「人」の3要素に左右される。設備の設計だけが卓越していても、他の2つが揃わないと安全は達成できない。これは、交通安全とも似ている。車体の設計だけが優れていても、夜間、凍結したカーブの路面を未熟なドライバーがスピードを出して運転したらどうなるか。車はポンコツでも、晴れた日に平坦で真っ直ぐな道路をゆっくり走る方が、よほど安全である。

もちろん、他の2つの要素に著しい差がない限り、過去の教訓に基づく設計改良を取り入れた原発が、多くの欠陥を抱えたままの原発よりも安全であることは論を俟たない。設計は、他の2つの弱点をある程度までは補完してくれる。しかし、限度もある。


Photo by Gevorg Gasparyan (CC BY)

「世界で最も危険な原発」と言われ続けてきたのは、アルメニア共和国にあるメツァモール原発であった。地震の多発地帯に設置されているのに耐震性も並で、原子炉は、外に格納容器もない古い旧ソ連式で、部品の品質も心配だった。しかし、チェルノブイリ事故から25年ぶりの大規模な原子炉事故は、アルメニアではなく、先進工業国の日本で発生した。

究極の安全な原発は、絶対に壊れない頑強な原発ではなく、壊れても安全な原発だ

究極の安全な原発は、絶対に壊れない頑強な原発ではなく、壊れても安全な原発だ。過去、安全対策に取り組むうちに、コストが著しく高騰してしまったが、今の軽水炉技術には、原理的にどうしても解決困難な問題が幾つかある。運転に伴い、大量の放射性物質が蓄えられていくこと。そのため、原子炉を停めても大量の崩壊熱が発生し、冷却に失敗すると放射性物質が拡散されること。冷却材として水が使われているため、系統が高圧になってしまうこと。燃料被覆管にジルコニウム合金が使われていて、高温の水蒸気と反応した場合、更に発熱しながら爆発し易い水素を発生させること。また高温の気中では発火すること。

日本の原発の安全水準

そのため、軽水炉技術の延長線上に「絶対安全」はない。反比例のグラフ(Y=1/X)のようだ。X(コスト)を幾ら大きくしてもY(リスク)はゼロにはならない。そればかりか、費用対効果はどんどん低下していく。

経営者がケチり、技術者がヤル気をなくすと、まさにそこが突かれて大事故が起こる

しかし、そこで規制が妥協し、経営者がケチり、技術者がヤル気をなくすと、まさにそこが突かれて大事故が起こる。これが、福島事故の本質に係わることでもあった。

事故後、規制を厳しくし、経営者には金を使わせ、技術者を発奮させ、安全対策が進められた。しかし、もうすぐゴールが見えようというときになって、原子力規制委員会の委員長は、安全の確約はしないと言う。いくら頑張ってもY(リスク)=0は達成できないからだろうか。

原発の設計図には、やたらと妙な小数点のつく寸法が多い。インチ(25.4mm)が換算されているからだ。日本の原発は、米国の原典の模写から始まり、今に続いてきた。「壊れない原発」にするためのアイディアも、ほとんどが米国からの「輸入」による。


Photo by Nuclear Regulatory Commission (CC BY 2.0)

「壊れても安全な原発」という発想は、米国よりも欧州が先進的だった。フィルター・ベントは1980年代から設置されるようになり、新型炉のためのコア・キャッチャーの概念も加わった。軽水炉の場合、運転中、放射性物質の蓄積量が増加することに対しては打つ手がない。しかし、フィルター・ベントを付けることによって、環境に放出される絶対量を低減させることは可能だ。また、崩壊熱をなくすることも不可能だが、溶融物を広がらせて放熱面積を大きくし、固化させることならば可能だ。

日本の原発の安全対策は、このような安全思想についての議論を出発点とせず、単に模倣として受動的に営まれてきたため、後進的にならざるを得なかったのである。

フィルター・ベントとコア・キャッチャーがあってもY(リスク)=0ではない。格納容器がバイパスされる事故や水素爆発で安全設備や建屋が損傷してしまうシナリオはなくならない。テロ攻撃にも耐えられない。原理そのものを見直して「絶対安全」を目指すという選択もある。しかし、唯一確実な対策は、原発から撤退すること。そう判断した諸国も現れた。

堅牢な新型炉への建替えという選択肢

安全上、老朽化した脆弱な原発よりも堅牢な新型炉が望ましいことは言うまでもない。しかし、そのような建替えをすることによって、誰に何の見返りが期待されるのか。たとえば米国の場合、より安全なのだとの理由で、150人の戦闘隊を待機させておくことが不要になることはない。10マイルと50マイルのEPZも解除が認められるわけではない。全て以前のままである。原発のパフォーマンスは、生涯何kWhの発電をし、そのコストとしていくら費やされたかで決まる。従って、コストを引き上げるだけの新型炉ならば、パフォーマンスはかえって低下し、魅力的な選択肢とはならない。

新型炉への建替えが歓迎される唯一の機会は、安全性とコスト・パフォーマンスの向上が両立する場合だけ

50台のバスを所有するZ交通(株)が、より安全な運行のためと称して全台新車にすると宣言し、運賃の3割増しを予告したとする。安全な運行は利用者の最低限の期待なのだから、それに対する共感よりも3割増しを不満に思う利用者が多いだろう。利用者は減り、Z交通は倒産する。新型炉への建替えは、たとえそのメリットが安全性の向上としてあったとしても、電力会社にも消費者にも実感され難く、逆に、電気料金として跳ね返る場合には敏感に実感される。新型炉への建替えが歓迎される唯一の機会は、安全性とコスト・パフォーマンスの向上が両立する場合だけであるが、これは現実的には達成が難しい。

もちろん、プラント・メーカーはそれを模索した。たとえばGE(ゼネラル・エレクトリック)は、ESBWRという炉型を考案した。ESBWRとは、高経済性単純化沸騰水型炉の略である。しかし、炉型の名称にも掲げたその経済性は如何ほどなのか。その建設計画を唯一保持しているデトロイト・エジソン社の試算によれば、1基の建設コストが100億ドル(約1兆2000億円)だと言う。工期10年、費用の回収に20年もかかる設備の導入に、役員も株主も皆ハッピーなはずはない。彼らだって、役員報酬や配当が心配だ。

電力会社が建替えや増設の提案をすれば、やがてこれらかつてのお座なりな立地基準の問題が、改めて議論される

日本で新型炉への建替えや増設が実現するには、以上の問題に加え、もう一つのハードルがある。現在、立地基準がないことだ。かつての立地基準は、内容を見れば一目瞭然だが、米国の基準を参考にしていながら、制約となる項目を悉く削ぎ落としている。たとえば、半径5マイル(8km)以内に活断層がないことや、半径3マイル(約4.8km)以内を低人口地帯に指定する項目は、日本にとっては厄介な要件だった。活断層は敷地の内側にまで入り込んでおり、本来の低人口地帯には、入院患者のベッドが数百床もある大きな病院が幾つか建っている。避難計画との協調性の問題もある。電力会社が建替えや増設の提案をすれば、これらかつてのおざなりな立地基準の問題が、改めて議論されることになるだろう。


Photo by PIXTA

結局、建替えも増設も新設も、かなり実現は難しく、単に古いものより新しいものがより安全だからという理由では、それを変えさせることができない。

次世代炉の可能性

建設コストが1基1兆円もする大型軽水炉の原発を10年以上かけて建設するという構想は、高さ1000mの超高層ビルと同じで、挑戦好きな技術者の興味はそそるかもしれないが、経済的なメリットよりも、むしろ長期におよぶ建設期間中、運転期間中の情勢変化のリスクを考慮すれば、ディメリットの方が大きい。大型炉礼賛の時代は、本格的に訪れないまま終わろうとしているように見受けられる。

これを機に宿命的な軽水炉の問題を解決する次世代炉が、時々話題に上ることもある。しかし実は、それらのほとんどすべてが、1950、60年代に開発に見切りを付けられた復古版なのである。それらの中には、有望そうなものもある。たとえば溶融塩炉は、運転中に核分裂で生じた放射性物質を除去し、崩壊熱が少ないことから、事故が起こっても停止しさえすればそのまま燃料が固化し、外部に大量の放射性物質を放出することはない。期待に叶う絶対に安全な原子炉は、あるのかもしれない。

原子力は、「質量保存の法則」さえ成り立たない超自然のエネルギーだと先に述べた。しかし、今の技術では、せいぜい1トンの燃料が999.95㎏に減る程度だ。その先には、もっと莫大なエネルギーを生産する原子力だってあり得る。現在も開発が続く核融合は、その途上にある。しかし、そのようなものの事故がどのような規模と性質なのか、今は想像することさえもできない。また、途中でどのような「マッド・サイエンス」を生み出すかも分からない。


Photo by DLR German Aerospace Center (CC BY 2.0)

なぜ私達はこのような深みにどこまでも入って行こうとするのか

私達が求めているのはただの電気である。ウナギやナマズの仲間が作るのと同じ電気だ。それだけのために、なぜ私達はこのような深みにどこまでも入って行こうとするのか。原発は、科学技術や経済だけの問題ではなく、最終的には、社会科学や哲学の問題、もっと易しく言えば、私達の生き方の問題だと説く人達がいる。私達は、あらゆる意見に耳を傾け、原発の役割について、もう一度考えなければならない。

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著者プロフィール

佐藤暁
さとう・さとし

原子力コンサルタント

1984年から2002年まで米国ゼネラル・エレクトリック社の原子力事業部に所属。その間、運転プラントの検査、改造、修理、新設プラントの建設、試運転など、100以上のプロジェクトに関与。その後、原子力コンサルタントとして活動しながら現在に至る。

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