沖縄の問題は、パズルの数独(ナンプレ)に似ている。一つひとつの3×3のマス目は、空白の番号を埋めるシンプルなもの。なのに複数の3×3のマス目がタテヨコに組み合わされて空白と番号を互いに制約し、全体が出口の見えない迷宮と化している。
その意味で、沖縄戦の戦没者を追悼する「慰霊の日」は、辺野古の問題を考えるのに最もふさわしくない日だった。基地問題というロゴス(論理)と沖縄問題というミュトス(物語)をごちゃ混ぜにして扱う感覚と態度が、ただでさえ難解なマス目の羅列をほとんど解答不能なものにさせている。
パズルを解きほぐしてみよう。昨年暮れに翁長知事が誕生して以来、メディアでより大きく報じられるようになった「沖縄問題」は、実際には以下の別々の要素によって構成されている。
(1)辺野古の新基地建設
(2)普天間飛行場の移設
(3)沖縄の基地負担
(4)米軍再編と基地縮小
(5)日米地位協定
(6)日米同盟と東アジア安全保障
(7)沖縄振興策
(8)沖縄の歴史(薩摩侵攻・琉球処分・沖縄戦・本土返還等)
(9)沖縄県民の生活・アイデンティティー・感情・意識
これらは本来、別々に考えて語られるべき側面を含んでいる。たとえば政府は辺野古の新基地を「日米同盟と抑止力の維持」のために必要と説明しているが、そもそも辺野古は普天間飛行場を移設するために出てきた場所だ。(1)の根拠として後付けで(6)を持ち出しており、なぜ辺野古なのか、なぜ沖縄県内なのか、なぜ新基地なのかという説明になっていない。
また、単に普天間の機能を代替させるだけなら、分散して部分的にキャンプ・シュワブやキャンプ・ハンセン、その他の沖縄本島内外の基地に移せば済む話だという指摘が軍事専門家からもされている。(1)と(2)も連関しているとは言いがたい。
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面積比が小さい地域の基地でも過度の危険は除去されるべきだし、個々の基地が危険すぎなくても特定地域の過度の負担は軽減されなくてはならない
国会審議も終わっていない安保法制の整備を、総理が米議会演説で先に約束してしまったように、辺野古新基地は国際情勢の変化や(4)の米軍再編から技術的に導かれたというより、(6)の同盟の信頼関係を担保するために切られた単なる「手形」となっている。(2)や(4)に(1)のマス目を埋めるヒントは確認できず、むしろ(1)が(6)を解くために利用されるという錯綜したトリックになっている。
一方で、基地負担と普天間を結びつけるのも違和感がある。普天間の移設は、住宅密集地にあって危険すぎるからが理由だった。翁長知事が繰り返し言う、日本全体の0.6%の土地に74%の米軍専用施設があるという面積比の問題と直接は関係がなく、(2)と(3)はリンクしない。面積比が小さい地域の基地でも過度の危険は除去されるべきだし、個々の基地が危険すぎなくても特定地域の過度の負担は軽減されなくてはならない。
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最もおかしいのは、基地移設と日米地位協定の問題が切り離されずに扱われていることだ。これがいかに不可解かは、何度も書いたり言ったりしてきた。
そもそも普天間の移設は、1995年の米兵による少女暴行事件がきっかけで生まれた計画だった。そこで米軍・米兵による事件や事故を減らすには基地の整理縮小を進めるしかない、となった。その流れで返還要求デモがあり、日米両政府によるSACO(沖縄に関する特別行動委員会)が設置され、辺野古移設や嘉手納以南の基地返還プランにつながっていく。
本来すべきことは日米地位協定の根本的な見直しと改定だ
ここにこそ、パズルを解けなくした最大の飛躍がある。沖縄の人々の人権や生活(9)が脅かされるのを食い止めるために本来すべきことは何か。駐留米軍と日本の市民、住民の関係を規定してコントロールする(5)日米地位協定の根本的な見直しと改定だ。当たり前の話である。
Photo by Expert Infantry(CC BY 2.0)
それがいきなり、政府も、沖縄の反対派も、基地そのものを減らす・なくすという発想(4)に飛びついた。そうなると、日米同盟やアジア太平洋地域の安全保障(6)への影響とセットで考えていかざるを得ない。その結果、身柄引き渡しなどに関する部分的な見直しはあったものの、日米地位協定は放置され、米軍の存在と活動や米兵・軍属による犯罪によって、沖縄の住民の生活権、財産権、環境権などがさまざまに侵害される状況が続いている。
本土の意識はどうか。翁長知事は普天間・辺野古問題のパラダイムシフトを図っている。とくに仲井真前知事と違うのは、施しがなくても沖縄はやっていけるというロジックをより強く打ち出していることだ。実際に経済の基地依存度は下がり続けているし、基地返還によってこそ観光業などの振興と自立が進むという主張は説得力がある。
Photo by 初沢亜利
しかし本土の人々の認識において、(7)振興予算は(1)基地新設や(3)過重負担の見返りであるという結びつけが薄まっているとは言いがたい。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの誘致などをちらつかせる安倍官邸のスタンスにも、そうしたずれとねじれがある。
知事の姿勢にも危ういごちゃ混ぜがある。翁長戦略の核心は、イデオロギーによる保守と革新の県内分裂から、(8)歴史と(9)アイデンティティーによって束ねられたオール沖縄へのシフトだ。しかし基地問題とアイデンティティーの一体化は、対政府、対本土の文脈では今までにない力強さを発揮する一方で、沖縄「独立」のような極端な方法でしか解を導けなくするリスクをはらんでいる。
Photo by 初沢亜利
辺野古の基地建設が中止にならなくても沖縄が「負けた」わけではないし、建設が中止になったら沖縄の問題すべてが片付くわけではない
つまるところ沖縄の問題は、3×3のマス目を切り離して、数独でない状態にしたほうが道筋が見えてくるはずだ。辺野古の基地建設が中止にならなくても沖縄が「負けた」わけではないし、建設が中止になったら沖縄の問題すべてが片付くわけではない。
すべてを一度に解決するのではなく、一つひとつの問題の改善と解決を積み重ねていくことで全体を前進させる。そうした思考とスタンスの転換が、政府にも、沖縄にも、本土の人間にも、メディアにも、必要なのではないだろうか。
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