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沖縄の民意を踏みにじる政治とメディア

  • 佐野眞一 (ノンフィクション作家)
  • 2015年6月28日

改憲と安保法制化を急ぎに急ぐ安倍総理と、辺野古埋め立てを絶対に認めないと公約して当選した翁長沖縄県知事。

2人の対立は、平行線どころか、チキンレースの様相を呈している。

翁長は今年5月に訪米したが、アメリカ側から辺野古埋め立てノーの言質を得ることなく帰国した。

翁長は昨年11月の沖縄知事選で、3500億円もの交付金をチラつかされて辺野古埋め立てにゴーサインを出し、「これでいい正月が迎えられる」と言って、沖縄県民の大顰蹙を買った前知事の仲井真10万票あまりの差をつけて大勝した。常識的に考えれば、「辺野古埋め立てはNO」というのが、沖縄県民の民意である。


Photo by 初沢亜利

ところが、2014年中の翁長・安倍会談は実現しなかった。安倍総理だけでなく、菅官房長官も翁長との年内の面会に一切応じてこなかった。

最新刊の拙著『沖縄戦いまだ終わらず』でも書いたことだが、こうした態度は成熟した大人の政治家がやることではない。

見る人が見れば、それは安倍の自信ではなく幼稚さと傲慢さの表れだとすぐわかる。

元々安倍は幼児性の抜けない男だと思っていたが、これ以上自分を過信して沖縄県知事に門前払いを食わせつづければ、世界中から笑いものになるだけだということを認識しておいた方がいい。

いずれにせよ、10万票もの大差をつけて翁長を当選させた沖縄の民意は、官邸に届いていなかった。これで日本は本当に民主主義国家といえるのか。


Photo by 柴田大輔

翁長と菅官房長官の会談が那覇市内のホテルで実現したのは、知事就任から4カ月後の2015年4月5日だった。

会談冒頭、菅は「最重要課題は普天間飛行場の危険除去と、日米同盟の抑止力の維持です。それを考えたとき辺野古移設は唯一の解決策と考えている」と訴えた。

これに対し、翁長は「どんなに忙しいかわからないが、こういった形で話させていただければ、県民の理解はもう少し深くなった」という言葉で、会談実現まで時間がかかり過ぎたことを非難した。

翁長は辺野古の移設工事をめぐって菅が記者会見や国会審議で繰り返し使った「粛々と工事を進める」という言葉を取り上げ、「上から目線の『粛々』という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していくのではないか」と怒りをにじませた。

さらに「沖縄県が自ら基地提供をしたことはない。私たちの意思とは別にすべて強制接収された『お前たち日本の安全保障をどう考えているんだ』と言わんばかりの態度こそ、日本の国の政治の堕落ではないか」とまで言い切った。


Photo by 柴田大輔

翁長のブレーンは、「辺野古問題は膠着状態に陥ったと見る人が多いかも知れないが、それは浅い見方だ」という。

「翁長は選挙中、イデオロギーよりアイデンティティという言葉をよく使いました。キータームはここにあります」

よく知られているように、翁長は自民党の沖縄県幹事長をつとめた保守党の政治家である。

悪い言葉を使えば、目的達成のためならどんなことでも厭わない。それが大田昌秀元知事に代表されるイデオロギー型の左翼政治家と決定的に違うところである。

どんなに汚いと言われても、ありとあらゆる手を使って辺野古の埋め立てを阻止する

「2度目の訪米使節団は1度目より一桁多く100人単位になるはずです。その集団がワシントンでデモ抗議すれば、かなりの効果がある。埋め立てに関して言えば、県外からの土石の搬入中止や、文化財埋蔵などを理由に工事を中断できる。どんなに汚いと言われても、ありとあらゆる手を使って辺野古の埋め立てを阻止するはずです」

このブレーンによれば、全国に呼び掛けた辺野古埋め立て阻止基金も、6月24日現在ですでに3億5900万円以上集まり、その7割は他府県住民からの寄付だという。

「全国的にこれほど大きな反対運動のうねりが起きたのは、1995年9月の少女暴行事件以来です」

また6月19日には、翁長とケネディー駐日大使の会談が都内のアメリカ大使館で行われた。翁長はその席で「沖縄の民意は、普天間飛行場の辺野古への移設は反対だ」とあらためて述べた。

これに対しケネディー大使は辺野古移設については直接言及せず、「沖縄が日米安全保障に貢献していることはありがたい」と言うにとどめた。

また6月23日の「慰霊の日」に行われる沖縄戦没者追悼式に出席する意向も示した。「慰霊の日」は、1945年6月23日、沖縄の組織的戦闘が終結したことにちなんで定めた記念日である。


Photo by 柴田大輔

翁長は、ありとあらゆるチャンスをつかんで辺野古移設に反対表明をしている。

翁長の別のブレーンの話では、来年、国連に出席して辺野古埋め立ての不条理さを世界中に訴える計画もあるという。

「中国の天安門事件と同様の国家犯罪が沖縄で起きていることを世界中に知らせるのです」

「世界」の5月号に、寺島実郎と翁長の興味深い対談が掲載されている。私が注目したのは、翁長の次の発言である。

二、三〇年前の沖縄は、中国をにらんでの極東の要石でしたが、いままさに沖縄は、あまりにも中国に近すぎて、ミサイル数発で普天間と嘉手納が吹っ飛んでしまう。沖縄に住んでいる軍人軍属に被害が出たら、アメリカ政府は耐えられないでしょう。アメリカは沖縄にいる米国人のことを心配していて、もしも中国との関係がもっとややこしくなってきたら、いつの日か突然、沖縄から出て行くのではないか、とまで私は思うのですが

この発言は、私には翁長が辺野古のグアム移転を期待した寓意のように思える。


Photo by Ash CarterCC BY 2.0

翁長が訪米した目的の一つは、ワシントンに沖縄事務所を開設するためだった。

その点に関連して、「47都道府県の中で、沖縄には日本国から来た“在沖縄大使”がいることは、ほとんどの人は知らないのではないか」という翁長の発言も、驚きだった。

調べると、これは1997年に橋本(龍太郎)総理が設けたポストだということがわかった。

1997年は普天間の辺野古移設問題をめぐって橋本と、当時沖縄県知事の大田との会談が最も頻繁に行われた時期である。

話を戻せば、日本が沖縄に「大使」を置くということは、日本が沖縄を一地方ではなく、一つの「国」と見なしている証拠ともいえる。

そこで思い出されるのが、日本との関係が険悪化する度、囁かれる“沖縄独立論”である。


Photo by 初沢亜利

もちろん、様々な問題が複雑に絡んでいるので、一気に独立というわけにはいかないだろう。

だが、かつては居酒屋の酔漢の戯言扱いされていた“沖縄独立論”が、真面目な議論の対象になってきたことは大きな変化だと言っていいだろう。

6月23日、沖縄は70回目の「慰霊の日」を迎えた。

この日、安倍と翁長の会談が予定されていたが、安倍の帰京前に空港で5分程度の会談にとどまった。沖縄タイムスの報道によれば基地問題には触れなかったそうだ。


Photo by 柴田大輔

メディアは、特に週刊誌メディアは官邸の意向を受けてのことだろう、翁長のことを“琉球国王”などと言って批判したつもりになっているらしいが、とんだ的外れである。

メディアが世間の常識からずれているのは、“大阪都構想”を掲げて住民投票して敗れ、政界からの引退を表明した橋下徹大阪知事と安倍の秘密会談を、さも意味ありげに伝えていることからみても明らかだ。

そもそも橋下は、いま政治で一番大事なのは「独裁」と公言するような男である。

そんな輩と“好戦主義者”の安倍が手を結んだらどうなるか。沖縄の将来にとっても大きな禍根を残すことは小学生でもわかる。


Photo by 初沢亜利

ところが、新聞、テレビなどの大メディアはそんなことにはまったく関心がないようで、橋下に対しすり鉢の底が抜けるほどのごますりを繰り返している。こうした橋下を買い被ったメディアの態度が、橋下を調子に乗らせてきたことに、メディアはそろそろ気づいた方がいい。

記者上がりの「政治評論家」とやらが、橋下を持ち上げに持ち上げている無責任な“床屋政談”を見ていると、気持ち悪くて吐き気さえする。

いまメディアが報じるべきことは、橋下が民間人のまま安倍内閣の大臣になるのではないか、来る衆院選で待望の国会議員になるのではないか、などといった無責任な憶測記事ではない。

政界からの引退を宣言したのだから、とっとと政治家をお辞めなさい、それがあなたの身のためでもあり、日本の将来のためですよ、と諫言するのが、まともなメディアのやるべきことである。

かつて日本がたどった暗黒と悲劇への道は、メディアの腐敗から始まった

むろん沖縄も例外ではない。

かつて日本がたどった暗黒と悲劇への道は、メディアの腐敗から始まったことを、この機会にもう一度しっかり肝に銘じておきたい。

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著者プロフィール

佐野眞一
さの・しんいち

ノンフィクション作家

1947年、東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。出版社勤務などを経てノンフィクション作家に。1997年、『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年、『甘粕正彦乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『遠い「山びこ」無着成恭と教え子たちの四十年』『東電OL殺人事件』『だれが「本」を殺すのか』『津波と原発』『沖縄戦いまだ終わらず』など著書多数。

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