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「生まれる前からフェンスがあった世代」がきらう近視眼の反戦平和

  • 仲村清司 (作家、沖縄大学客員教授)
  • 2018年9月29日

私事ながら、この夏から20年間暮らしていた那覇を離れ、京都に移り住んだ。とはいっても、月に一度は那覇に通っているので、本土と沖縄を交錯させながらの二重生活である。

理由はいろいろあるが、論じられているところの沖縄問題を間近で見続けたために、その副作用が生じたといおうか。目先の出来事だけにとらわれて、重要な事態を見落としたり、鈍感になっていたりするケースが多くなってきたからである。

とりわけ今年の沖縄は7月以外はすべて首長選や市議会選挙という「選択の年」である。辺野古の新基地建設問題の行方を決定づける知事選も明日に迫り、県民投票の制定に向けて県議会が招集されることも決定した。

近視眼的になってしまっている自分の「視力」を矯正させるためにも、少し距離を置いて沖縄を見てみたいという気分になったのだ。

反基地だけでは勝てない

さて、今回の知事選は4年前とはずいぶん異なる様相を呈している。前回の知事選の争点は「辺野古」だった。大げさにいえばそれ以外の争点は見当たらないほどに新基地建設の是非を問う「辺野古」一点張りの選挙であったといっていい。


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結果、故翁長雄志氏は10万票もの大差をつけて仲井眞弘多氏に勝利したが、今回の知事選はオール沖縄が推す玉城デニー氏、自公の推す佐喜真淳氏のどちらが勝つにしても僅差だろうと予測されている。

いいかえれば、オール沖縄は10万票を財産にすることができなかった。そのことを決定づけたのが今年2月に実施された名護市長選だった。当初、新基地反対派で現職の稲嶺進氏がトリプルスコアで勝利するとまでいわれたが、結果は3000票の差をつけられて自公推薦の渡具知武豊氏に敗れた。

「基地反対」を主張するだけでは集票できない=勝てない時代になった

敗因の原因について様々な指摘がされたが、名護市長選を通してはっきりしたことは、「基地反対」を主張するだけでは集票できない=勝てない時代になったということである。

たった4年で空気は変わった。いや、正確にいうと、各世論調査では新基地建設に反対する県民は現在も6割を超えており、反基地感情にはそれほど変化がない。にもかかわらず、名護市のみならず他の首長選でも選挙になるとオール沖縄が敗北するのが通例になってしまった(南城市はオール沖縄が推す候補が当選したがわずか65票差だった)。

世代によって求めるものが違っていて、それが顕著になってきている

各市町村が抱える課題は県政レベルのそれとは別物で、そもそも同列で考えるべきではないが、それにしてもオール沖縄の衰退ぶりは目に余るものがある。

県民感情の本音の部分を推し量ることは難しいが、ひとつはっきりしているのは、世代によって求めるものが違っていて、それが顕著になってきているということだろう。

深まる一方の世代間の分断

再度、名護市長選の例を引き合いに出させていただく。投票当日の出口調査によると、10代から50代までが渡具知氏支持、60代から90代までは稲嶺氏支持で、世代によって投票先が白と黒ほどに割れていたことが明らかになった。

無党派層が多い10代と20代に限っていえば、6割を超える票が渡具知氏に流れ、30代もほぼ同水準で渡具知氏を支持した。

つい先日(9月19日)発表された琉球新報社と沖縄テレビ放送、JX通信社が合同で実施した「辺野古埋め立て承認撤回」の是非を問う世論調査でも名護市長選と酷似した結果が出ている。

それによると承認撤回の評価について「強く支持する」「どちらかというと支持する」は約7割に上っているが、年代別に見るとはっきりとした違いが出ている。

「強く支持する」の割合が高かったのは70代で、次いで60代、80代と続き、「全く支持しない」では最も割合が高かったのは20代で、30代、40代と続いている。

沖縄は一枚岩というのはすでに神話でむしろ真っ二つに分裂しているのが実情

つまるところ、辺野古新基地建設に反対し、かつ承認撤回を支持している年代は60代以上で、他方、若い世代は新基地建設を容認し、かつ承認撤回に反対している人たちが目立つというわけだ。

いかがだろうか。世代によってこれほどまでに二極化しているのが、いままさに知事選が闘われている沖縄の現実なのである。要するに沖縄は一枚岩というのはすでに神話で、むしろ真っ二つに分裂しているのが実情といっていい。

基地問題にピンとこない若い世代

沖縄戦や米軍統治下時代、復帰闘争を体験した60代以上の世代が「基地」を最大の争点にしているのは容易に察しがつく。では若い世代が求めているものは何なのか。

上の世代とは違って、「基地」は彼らにとって最大の争点ではなくなった

誤解のないようにいっておくが、彼らが基地を容認しているとはいっても、積極的に「容認」しているのではない。上の世代とは違って、「基地」は彼らにとって最大の争点ではなくなったのだ。

理由は明白である。彼らは生まれる前から基地のフェンスがあった世代で、20代前半の年代にいたっては、米兵による少女暴行事件普天間飛行場の全面返還が合意に至った前後に生まれた世代だからである。

つまりは辺野古の経緯そのものが記憶にないわけで、新基地建設の是非や承認撤回が争点といわれても、それが自分に直接関係があるとは思えなくなっているのである。

むしろ彼らが切実に感じている問題は「貧困と格差」である。

放置されていた貧困対策

沖縄県が実施した2016年の調査によると、沖縄県の子どもの貧困率は実に29.9%に上り、全国平均の2倍近い。子どもの3人に1人が貧困状態に置かれたままの社会というのは尋常ではない。他府県で知事選が行われれば、最大の争点になるのではないか。

しかも、同年に沖縄県と文部科学省が調べた不登校調査によると、県内の高校の不登校者数は1000人当たり32.3人。これも2倍以上に達し、全国最多である。

「経済的理由」や「家庭の事情」が中途退学理由の多くを占めているが、背景にはむろん貧困がある。

冒頭で、沖縄問題を間近で見続けると重要な事態を見落とすケースがあると書いたが、そのことを端的に示す事例がすでに20年前に発生している。

「――借金で家族関係の悪化を訴えた人が6割近くにも達した。そのほか『離婚した』25%、『自宅にいられず友人や親類の家に泊まった』46.9%、『会社に居づらくなった』34.4%、自殺を考えたことのある人は5割に上った」(琉球新報/1997年11月18日)

以上の記事は、県司法書士会が1997年に「多重債務の実態」を発表したときのものである。同会は多重債務による自己破産者数が増えていることを受け、このとき「非常事態宣言」を出している。不覚にも僕自身、そのことを見落としていた。

1997年といえば「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票」が行われた年で、普天間基地の「移設」問題で騒然としていた時期にあたる。

要するに沖縄の貧困問題は昨今発生したものではなく、少なくとも20年前にはすでに危機的な状態に陥っていたのである

要するに沖縄の貧困問題は昨今発生したものではなく、少なくとも20年前にはすでに危機的な状態に陥っていたのである。が、辺野古の問題が大きくクローズアップされ、毎日のように基地問題が報道されていくなかで、生活苦にあえいでいる人たちの「沖縄問題」が見えなくなってしまっていたのだ。

基地問題が貧困を隠したともいえるが、経済界の責任はもっと重い

奇しくも基地問題が貧困を隠したともいえるが、経済界の責任はもっと重い。本土とのインフラ格差が解消された後も振興策や高率の国庫補助を大型公共工事に集中配分させた結果、金が落ちる既得権益層とそうでない人の間に著しい経済格差を蔓延させた。

貧困は連鎖する。十分な教育が受けられないと雇用からはじかれ、生活は成り立たなくなる。こうなると貧困から脱出することはいよいよ難しくなり、負の遺産は次世代に先送りされる。

非常事態宣言が出た1997年からの歳月を考えると、おそらくは当時のツケが回り回って現在の子どもたちの貧困問題として表出したかと思われる。

世代間の対話が急務

沖縄は選挙のたびに「基地反対」か「経済振興」という図式で争点が割れたが、現在の若い世代の関心事はそこにはない。

彼らは自分がいつ貧困に陥るか、格差の果てに埋没してしまうか、そのことを極度に怖れている。

貧困と格差が社会問題化し、周知されるようになったせいか、今回の知事選では両陣営とも貧困対策を重要課題して掲げているものの、選挙戦終盤になっても議論が深まっているとはいい難い。

それどころか自公の推す佐喜真候補は「携帯電話料金の4割削減」を公約の目玉として掲げる始末だ。知事や国に料金を上げ下げする権限はないし、そもそも知事選とは無関係な公約である。

若い世代はそれほど無知ではないし見くびらない方がいい

音楽やゲームで携帯を頻繁に利用する若者に照準を合わせたつもりだろうが、若い世代はそれほど無知ではないし、見くびらない方がいい。

沖縄の非正規労働者数は25万人に上り、雇用者全体に占める割合は43%で全国一高い。

そんな雇用状況だからこそ、若者は自分たちの来し方行く末と真剣に向き合い、より安定した職を得ようと日々格闘している。

玉城候補を推すオール沖縄も支持層の多くが60代以上の高年世代というのでは沖縄の未来は語りにくい。

若者が置かれた現状に寄り添って語っているだろうか。上から目線で反戦平和を説いてはいないだろうか

自戒の念を込めていうが、若者が置かれた現状に寄り添って語っているだろうか。上から目線で反戦平和を説いてはいないだろうか。

若い世代の間に頭ごなしに基地問題を語る大人への無関心が広がっていることを付記しておきたい。

いま必要なのは異なる世代が互いに胸襟を開いて対話できる場を増やすことだ。地域が分断され、世代間にギャップが生じたままでは沖縄が歩んだ歴史や価値は共有できない


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あらゆる点で発想の転換が必要な時代に入ったかと思える。貧困を拡大再生産させてきた振興策や社会構造を根本から見直すこともしかり。

沖縄から格差を根絶させる具体的な施策を打ち出せば、本土からの沖縄の見え方も変わってくる

格差は全国に広がっている。むしろ沖縄から格差を根絶させる具体的な施策を打ち出せば、本土からの沖縄の見え方も変わってくるし、これまで届かなかった声に耳を傾けるかもしれない。

ともかくも新知事は時代を担う世代が真に安心して暮らせる社会を実現させる責務がある。対立だけを生む分断を放置することは許されない。埋めるべき溝は「国」以上に沖縄内部にある。

著者プロフィール

仲村清司
なかむら・きよし

作家、沖縄大学客員教授

1958年、大阪市生まれのウチナーンチュ二世。作家。沖縄大学客員教授。96年、那覇市に移住。著書に『本音の沖縄問題』(講談社現代新書)、『本音で語る沖縄史』(新潮社)『島猫と歩く那覇スージぐゎー』(双葉社)、『沖縄学』『ほんとうは怖い沖縄』(新潮文庫)、共著に『新書沖縄読本』(講談社現代新書)、『これが沖縄の生きる道』(亜紀書房)など。

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