ポリタス

  • 視点
  • Photo by Nao Iizuka(CC BY 2.0)

何が沖縄の自由を妨げているのか

  • 比嘉まりん (社会保険労務士 / フリーランスライター)
  • 2018年9月28日

なぜ私が沖縄の抱えている諸問題に関心を持つようになったのか。一言では言い表せないが、祖父母や親戚から聞いた沖縄戦や戦後史の影響が大きい。今は亡き祖父は、地上戦を経験した。私の曾祖母にあたる彼の母と艦砲射撃の中を逃げまどった。

お母さんが流れ弾にあたって亡くなったこと。亡くなったお母さんを背負い、無数の死体を踏みながら北部まで走ったこと。お母さんを埋めた場所が分からなくなって、骨の代わりに泣きながら石を拾ったこと。

祖父本人は多くを語ろうとしなかったけれど、沖縄の歴史は、私の歴史でもあると感じている。

沖縄の人々は、日本全体からみれば、少数派であり、その主張はなかなか理解されない。「少数派が意見を言うなんて生意気だ」そんな空気を感じるし、「被害者ぶるな」と言われることもある。

私は、沖縄にはこのような視点を内面化することなく、困難な歴史を抱えた分だけこれからは幸せになってほしいと思っている。土地に対してなかなか変な表現である。でも本当にそう思っている。

沖縄のことを思うと、悲しみと誇りが入り混じった気持ちになるのだ。日本中に、そして世界中に散らばっている世界のウチナーンチュには理解してもらえるのではないか、と思う。

以下、個人的な感情論は横において、今回の知事選について考えたい。

知事選の争点は、翁長県政を支持するか否かということが1つのポイントになるだろうと考えている。

簡単に翁長雄志知事が誕生するまでの経緯を振り返りたい。


Photo by 津田大介

イデオロギーよりアイデンティティー

それまで沖縄県知事選のたびに基地問題が争点とされ、安保容認で基地より経済を重視する保守と、安保破棄を主張する革新が対立する構図があった。

官僚が「米側の移設先の条件は沖縄から65マイル以内」などと、実際には事実無根の情報を首相に流すなど県外移設を妨害した事情もあり、その方針は辺野古移設へと回帰された

だが、2009年に民主党政権が発足し、鳩山由紀夫元首相が、沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について、そうではなく「最低でも県外」にと言った。これにより、沖縄自民党も「県外移設」を主張するようになった。「時の総理が言っているのだ、我々も『県外移設』と言っても良かろう」という空気がうまれたのだ。

しかし、当時の官僚が「米側の移設先の条件は沖縄から65マイル以内」などと、実際には事実無根の情報を首相に流すなど県外移設を妨害した事情もあり、その方針は辺野古移設へと回帰された。そして、13年1月、翁長氏は、銀座でデモ行進をした際、「売国奴」などとヘイトスピーチをあびた。また石破氏により自民党議員が辺野古移設容認を迫られるという衝撃的ないくつかの事件を経て、「イデオロギーよりアイデンティティー」と、腹八分で県民が1つになることを訴えるに至った。


Photo by 岩本室佳

世界一危険な基地といわれる普天間飛行場は、移設に条件付きで合意した県政の頭越しに決められた沿岸部での日米合意があり、一度は「最低でも県外」に舵を切ったものの、結局は県内移設に戻り、沖縄県民は何度も国に翻弄された。この間に、元防衛大臣の発言等により辺野古移設は軍事的理由ではなく、他に受け入れ地がないという政治的理由であるという事実が、明らかとなったことも特筆すべきことである。

基地は経済発展の最大の阻害要因

辺野古移設の是非が長年選挙で問われ、「基地の撤去か」「基地より経済か」が叫ばれる中、翁長氏は2014年の選挙で「基地は経済発展の最大の阻害要因」とも述べた。これは沖縄での選挙において重要な分岐点となる2つの意味を持つことになる。

「基地か経済か」という二項対立で語られることが多かった基地問題について、基地関連収入の割合や基地返還の経済効果など具体的な数字を掲げて主張されたことで、ハッとした沖縄県民も多かった

まず1つは、「現在、基地関連収入は5にすぎないのであり、基地返還後の土地での経済効果が高い」ということだ。2014年の知事選が行われるまで、沖縄県民の中にも「基地で働いている人もいるし」とか「基地がないと食べていけないんでしょ」といったような声もあった。本土の人間もまた「沖縄は基地がないと困る」との見方が支配的であった。このように「基地か経済か」という二項対立で語られることが多かった基地問題について、基地関連収入の割合や基地返還の経済効果など具体的な数字を掲げて主張されたことで、ハッとした沖縄県民も多かったのではないだろうか。

従来の「基地か経済か」とは違う軸で基地問題を見直したことで「沖縄の常識」が問い直されたともいえる。このような事実認識が県民の中に広がったことは、沖縄にとって、良いことだったと考える。

一方、翁長知事就任後、移設工事が進む辺野古沿岸部の埋め立て承認の取り消し訴訟において最高裁で敗訴した。そして、辺野古問題が一向に解決せず工事が強行され、沖縄振興予算が連続で減額された。辺野古移設を巡って国と対立することで「普天間問題」が進展しないのにもかかわらず、「国からの圧力」により県財政が不利益を被る状況に、県民の中に「国と対立しても何も変わらない」という疲労感も出てきた


Photo by 柴田大輔

宜野湾市長選名護市長選では、「どうせ基地はつくられる。それより経済や教育福祉を」という若者の声も目立った。

翁長知事の誕生は、「国とのパイプを強調して予算を獲得する利益誘導の重視」か、「『基地はどこにもいらない』といった理念を前面に出した基地撤去」という対立から脱却し、基地の応分負担を求める新たな政治体制を構築した一方、強大な国の圧力と対峙することの痛みや悲壮感をも知らしめることとなった

振興予算は豊かさをもたらすのか

その翁長知事が亡くなった。それを受けて行われる今回の知事選で、争いになっていることは何か。

保守陣営が重視してきた基地とバーターの振興予算を重視し、少しでも多くの振興予算を獲得するということに回帰するのか、それとも真の意味で自立経済を模索していくのか

それは保守陣営が重視してきた基地とバーターの振興予算を重視し、少しでも多くの振興予算を獲得するということに回帰するのか、それとも、真の意味で自立経済を模索していくのか、ということであろう。基地とバーターである振興予算は沖縄を本当に豊かにするのであろうか。これは、「基地は経済発展の最大の阻害要因」という言葉の2つ目の意味でもある。

佐喜真陣営は、国との強いパイプによる予算獲得をアピールしている。小泉進次郎氏が掲載されているチラシには、「手を伸ばせば豊かさを手に入れることができる」と記載されていた(従来の政府方針は、沖縄振興予算と基地とのリンク論を否定するものであったが、近年は「リンク論」が明言され、容認する方針に転換された)。

玉城デニー陣営は「補助金頼みではない。アジアのダイナミズムを取り入れ世界から投資を呼び込み、それらを原資に自立経済を構築する」と主張している。

この点について、県民はどのように考えているであろうか。

佐喜真氏が公開討論で述べた「我々の努力には限界がある」という発言に象徴されるように、「国に反対しても、仕方がないから、どうせならお金をもらおう」と考える人もいるだろう。

また、「国に逆らう人間が知事になれば、予算が減額され、革新不況がやってくる。そうなると、沖縄県民の生活に密着した教育や福祉の予算が削られるのかもしれない」と意識的・無意識的に考えている人は、少なくないのではないだろうか。

果たして、それは正しいのか。

沖縄振興予算について検討したい

そもそも、沖縄振興予算は、戦後27年間、米軍の施政権下に置かれた歴史的事情や、米軍基地が集中していることなどの「特殊事情」を踏まえ、1972年の本土復帰以降、格差の是正や自立的発展の基礎整備をはかるということがその趣旨だ。その名称から、本土には、沖縄は特別に政府から多くの予算を配分されていると思っている人も多い。 しかし、他府県より突出して多くの予算をもらっているわけではないことを、まず共有したい。国から地方に財政移転される政府予算には、地方交付税と国庫支出金があり、振興予算は後者の一部である。

さて、その沖縄振興予算であるが、確かに一定の社会資本の充実はあった。しかし、格差是正や経済自立にふさわしい十分な産業や経済の発展があったとは言えない。

なぜなら、高率補助事業が優先的に誘導されるという問題を抱えているからだ。高補助率は、実際の負担額の10倍もの公共事業を可能とするので、予算を極大化する方向に誘導される。その結果、高補助のない教育福祉サービスに関する予算は後回しにされてしまう、という現実がある。

県が先頭に立って舵取りをしていくべきところを、国が筋道をつける、という政治的主体の交代がおこっている。これはまさに自治の破壊である

また、県議会が関与する以前に、国が「基本方針」を策定する。そして、その方針の下に、県が゙振興計画を策定するというプロセスを経るために、高率補助の制度は残存することになる。そのため、本来であれば、県が先頭に立って舵取りをしていくべきところを、国が筋道をつける、という政治的主体の交代がおこっている。これはまさに自治の破壊である。

沖縄振興予算は、そもそも制度的に、教育や福祉など、その地域特有の問題をケアすることには使いにくい構造になっているのだ。

たとえば沖縄の貧困問題は深刻で、各都道府県における所得1000万円以上の世帯の割合は、3.35%と全国最下位である。子どもの貧困率は、世帯全国の16.3%に対し、約2倍の29.9%となっている

その理由として、「沖縄人は怠惰だから」などと県民性をあげるような言説もよく聞かれるが、正確ではない。

沖縄の貧困は、沖縄戦による荒廃、27年にわたる米軍統治、復帰後も変わらぬ基地問題、それと一体となった沖縄振興体制に起因する構造的な問題である

沖縄の貧困は、沖縄戦による荒廃、27年にわたる米軍統治、復帰後も変わらぬ基地問題、それと一体となった沖縄振興体制に起因する構造的な問題であるのだ。

現に、国との関係を重視し、振興予算が増額した保守県政時代においてでも、沖縄の貧困問題は改善しなかった。

その観点からすれば、翁長県政が、経済界や県民も含めて総勢105団体で「沖縄子どもの未来県民会議」を発足させ、基金をつくり、県民運動として取り組んだことは評価できると個人的に思う。また、翁長氏がインタビューで答えていた「沖縄県は、大変厳しい状況を、県民の結束で乗り切ってきた地域です。沖縄の未来を左右する子どもの貧困問題に対しても、多くの県民のみなさん、県外に出た出身者のみなさん、国外で苦難を乗り越えられた移住者のみなさんから、ご協力いただけるものと信じています」という言葉は、貧困問題解決の本質をついていると考える。


沖縄子どもの未来県民会議

なぜなら、沖縄の貧困問題を改善するためには、予算を拡大して、公共事業を増やすのではなく、経済成長の波が自然と低所得者層にこぼれてくるというトリクルダウンを期待するのでもなく、教育や福祉の充実とともに、沖縄の固定された低所得者層に直接的かつ具体的な経済・産業政策が必要となるからだ。

誰かが何とかしてくれるといったお任せ状態ではなく、この土地に生きる者として当事者意識を持ちコミットメントしていくことが大切

そして、沖縄に多い建設業従事者やサービス業従事者の所得や地位を、官民挙げて向上させることが肝要となる。このように県民が主体となって、自分たちはどのような社会を構築したいのかを自己決定し、そのためのポジティブな動きを全県的に起こしていくことができるか否かが、問題解決の鍵を握っている。

国からの予算は1円ももらうな、と言いたいわけではない。そうではなくて、誰かが何とかしてくれる、といったお任せ状態ではなく、この土地に生きる者として、当事者意識を持ち、コミットメントしていくことが大切なのだ。

沖縄県知事が抱えるジレンマ

たとえ沖縄振興予算の配分の仕組みが改善されたとしても、多くの基地を抱える沖縄の知事は、福祉や教育に全力を注ぎたくても注げないという問題がある。基地があることによって日々発生する事件事故や、基地に付随する公務で忙殺され、他府県の知事と比較して、街づくりのための時間がとれないのだ。

「基地」「経済」「貧困」の問題は、それぞれが密接に絡み合っており、不可分の関係にある

知事の責務は、基地問題だけではない。しかし、その他の行政活動に支障が出るほど沖縄の基地負担は過剰なのである。ここにも、保革のどの知事も貧困を改善できなかった一因があるだろう。このように「基地」「経済」「貧困」の問題は、それぞれが密接に絡み合っており、不可分の関係にある。

したがって、国とのパイプにより、基地と引き換えに予算をもらい、沖縄の諸問題を解決することは、制度的に困難であるといえる。

民主主義を諦めない

一方で、日本政府の側からすると、日米安保を将来にわたって安定的に維持していくためには、米軍基地の拠点として沖縄の経済発展を抑制し、米軍基地なしでは経済が成り立たないような体制をいかに保持するかが重要となる。

沖縄が「経済自立」を手中にすれば、さらなる経済発展に必要な場所を求め、米軍基地返還の動きを招きかねないからだ。

政府に従順な人間が勝てば「これが民意だ」とされるこの国の現実に、選挙という民主主義を支えるシステムに対し無力感を抱いている人も多い

このような思惑を持つ日本政府の下、選挙で反対の意を示そうとも、その結果は無視され、政府に従順な人間が勝てば「これが民意だ」とされるこの国の現実に、選挙という民主主義を支えるシステムに対し無力感を抱いている人も多い。これは、沖縄の問題ではなく、地方自治や民主主義という近代国家を支える理念をどう捉えるかという、本土の人間に対する問いでもある。

民主主義を諦めず、自己決定する力を諦めず持ち続けるか。地方選挙にしてはあまりにヘビーな争点を背負わせることになってしまったことの責任を、日本全体で受け止めるべきだ。

圧倒的な力を前にして、振り子のように左右に揺れる沖縄の人々の投票行動や心情は、とても複雑で、その感情の機微を理解するのは、本土の人間からはとても困難だ。その複雑さは、時に「沖縄はゆすりたかりの名人」といった言葉に表れる蔑視に行き着いたりもする。

中央と沖縄が利益相反状態にあるときに沖縄の政治家はどうあるべきだろうか

中央と沖縄が利益相反状態にあるときに、沖縄の政治家はどうあるべきだろうか。翁長氏の「保守は保守でも、僕は沖縄の保守です」という言葉が思い出される。大波に流され、沖縄の立場を軽視するのであれば、沖縄の尊厳を保守するのは難しい。

今や沖縄は、日本の辺境の土地ではない。個性豊かな島々から構成されるこの土地は、アジアの中心として、基地と引き換えの補助金に頼らずとも、経済発展の中心を担うポテンシャルを持っている。そして、県民は何が沖縄の自由を妨げているのかその構造を理解し始めてきた。

大事なことは、未来を決めていくのは他ならぬ沖縄県民であるということを強く持ち続けることだ。


Photo by 岩本室佳

著者プロフィール

比嘉まりん
ひが・まりん

社会保険労務士 / フリーランスライター

広告