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誇りある豊かさのために

  • 友利修 (国立音楽大学音楽学部教授)
  • 2018年9月28日

2018年8月8日の翁長知事の逝去の衝撃から覚めやらぬうち、暦どおりに走り出した選挙の生んでいる状況の中に、多くの人がいやおうなしに引き摺り込まれ、日々、一喜一憂している。

選挙運動に積極的に関わり肉体的に忙殺されている人がいる一方で、遠くから見守るしかないことで、言葉だけが溜まっていく私のような者もいるだろう。投票日が迫り、情勢が一刻一刻変わっていく中で、県外の沖縄出身者、さらに言うなら自らを沖縄人と認識している者の立場で、矢も盾もたまらない気持ちと、その一方で、視点を後ろに引いて落ち着いて考える必要性を感じながらこの文章を書いている。

実を言うと私は、沖縄の選挙について県外の人間が過剰なほどの情熱で介入したり発言したりすることに対して、いささかアレルギーを持っている。本土の政治的な左右の軸とそこでの得失の基準をそのまま沖縄の選挙戦に投影した過大な期待や、それに添わないからということでの批判も苦手だ。地方自治体の選挙で、自分の意に添わない選挙結果が出たからという理由で、そこの住民を思慮なくくさす言葉を目の当たりにすると悲しくなる。

それを言うとき、これらのことは自分にもぜんぶ跳ね返ってくる思いもする。沖縄に生まれ育ったとはいえ、18歳からあとは県外を生活の拠点として生きてきて、今も東京から沖縄のニュースにアクセスしている自分が、沖縄の知事選について何を言う権利があるのだろうかという自問である。

しかし、大多数の、そしてとくに県外の沖縄の人には分かってもらえると思うが、沖縄県知事の存在や、その選挙は、いつも気になる。そして、年老いた母が住む場所でもあり、自分もそのうち戻りたいと思っている場所で起きている今の事態は、自分にも直接影響があると感じている。以下は、そんな言い訳をしながら、沖縄にいる友や若い人々を仮想的な読者とし書いたものである。


Photo by 岩本室佳

沖縄県知事というもの

沖縄県の知事選挙は、復帰前の行政主席選挙として行われた1968年のものもそこに含めると、今回で14回目。誰が当選しても8人目の知事となる。翁長氏が2014年に選ばれるまで46年間、実際の所属党派の細かい名称はともかく、それは「革新」と自由民主党を母体とする「保守」の間で争われていた。選ばれた知事も革新と保守が複数期の任期のあとに入れ替わるという様相を呈した。以下に簡略に記してみる。

屋良朝苗(1968 - 74年、2期、革)

平良幸市(1974 - 76年、病気により1期途中、革)

西銘順治(1976 - 82年、3期、保)

大田昌秀(1990 - 98年、2期、革)

稲嶺惠一(1998 - 2006年、2期、保)

仲井眞弘多(2006 - 2014年、2期、保)

翁長雄志(2014 - 2018年、死去により1期途中、オール沖縄)

行政主席とその公選についてここで触れておくことは、知事や知事選挙の重みについて理解するために無駄ではないだろう。ご存知の方には、既知の情報の教科書的で煩雑な繰り返しとなるが、特にその時代を生きていなかった世代に向けて、事実をその意味とともに確認したい。

権力関係的には米国民政府の下にあった琉球政府の長は「行政主席 Chief Executive」と呼ばれていた。 1952年に制度が定められた際には米国民政府による直接任命制だったものを、沖縄側は民政府への働きかけにより、議会である立法院を通した決定過程への参与を増やしていった。そして、主席公選運動と呼ばれた強力な住民運動によって、1968年には住民の直接投票による公選制を認めさせ、その年11月に第1回の選挙が行われることとなる。投票率89.1%革新共闘の屋良朝苗が沖縄自由民主党の西銘順治を破り当選した

沖縄の人々は、政治的な長を投票で選ぶ権利と制度を自分たちの粘り強い運動によって手に入れた

戦前に今の県知事にあたる県令が中央政府による任命だったことを考えると、このとき沖縄の人々は、政治的な長を投票で選ぶ権利と制度を、自分たちの粘り強い運動によって手に入れた。そして、それはまだ歴史の遠い彼方のことというようなものではない。その記憶と意識下でのその継承は、沖縄で県知事選に日本の他府県とは違う特別の重い意義を与えている。このとき玉城デニー9歳、佐喜真淳4歳。

この1968年の選挙戦に保守側が投入した二つの要素は、それ以降のそして今回の知事選まで形を変えて繰り返されるものとなった。一つは、経済的な強迫の言辞。もう一つは中央からの選挙干渉である。

当時の高等弁務官のアンガー中将は、革新側の唱える即時で無条件の本土復帰は、占領状態で維持されている米軍基地の存在を脅かすことにつながるものと見た。そしてその牽制のために「基地が縮小ないし撤廃された場合、沖縄はたちどころに昔のイモとキビだけのハダシの経済に戻るだろう」と発言した。米国と日本政府の意向に配慮し段階的復帰を唱える西銘陣営がそれを「革新が勝てばイモ・はだしになる」として選挙キャンペーンに利用した。これが「イモ・はだし」として沖縄史にとどめられている。

選挙干渉の実体は、米国側の情報公開により近年になって明らかになってきた(例えば、宮城修「主席公選を巡る日米両政府の介入」2017年。1968年の選挙では、主席選挙と同時に行われた立法院議員選挙のためと合わせて、保守陣営の選挙資金として、米民政府からは30万ドルが支出され、日本の自民党からは88万ドルが米大使館のルートを活用するなどして運ばれた。1ドル=360円の時代であり、今の貨幣価値にして数十億円が動いたことになる。


Photo by 岩本室佳

沖縄の知事は最初からこうした力の場の中に投げ込まれて選ばれた。

長々とその歴史を持ち出したのは、後段で述べるように、2018年の今、その形を変えた再来を見ているような気がするからである。

「保守 vs 革新」

1972年に復帰してからも、経済的懸念と中央からの梃入れの2つの要素は、ヴァリエーションを伴いながら、沖縄の知事選の中に陰に陽に刻み込まれてきた。日本政府の保守与党はそれを巧みに操ってきた。もちろんそうした利益誘導は日本各地の地方自治体で繰り返されていたことであったが、沖縄では格別の緊張を与えていた。

基地問題で主張を貫こうとすると革新陣営の知事へ。それが2期も続き、中央の保守与党とのパイプが失われることで経済的が落ち込むとの認識が勝ると、保守陣営の知事へ……。沖縄の有権者の投票パターンとして、これまで何度も揶揄とともに、ときに自虐的に指摘されてきたところである。

稲嶺惠一元知事が近刊の『文藝春秋10月号』に「翁長雄志 本土に伝えたかった沖縄の誇り」と題して発表した文に、この点に関連した、興味深いエピソードが以下のように語られている。

県知事選出馬の打診があったのは、1998年です。沖縄経済同友会の代表幹事や沖縄経営者協会の会長を務めていたので、経済界を中心に働きかけがありました。相手は3期目を目指す革新の大田さん。当時は、大田さんと政府との関係が悪化して沖縄の景気が良くない時期でした。ただ経済界の人たちは、「沖縄のために、身を捨てて飛び込め」などとけしかけてくるものの、選挙については素人ばかり。その時やってきたのが翁長君です。[…]ところが、経済界の人たちは、「俺たちだけで選挙をやる。自民党の人間は選対本部に入れない」と言い張るので、本部の隅にあった小さな部屋に、連絡係として、翁長君1人入ってもらいました。

ここには、革新系の知事によって政府との関係が悪化すると景気が低迷するという古典的な認識が示されている。ただしその一方で、このときは、本土の系列政党からの介入を忌避した事実を証言している。

中央の権力に取り込まれたように見えながら、沖縄の権益を確保しようとする独自の保守のありかたは最近まで脈々と続いてきた

実際、本土から見た政治的な「保ー革」の軸以外に、沖縄の保守の側には、地域の政財界エスタブリッシュメントのようなものがある。その存在が、保守側の候補を支え、中央政権与党との間に微妙な力の綱引きが行われてきた。それが交渉達者な知事を生んできたとも言える。中央の権力に取り込まれたように見えながら、沖縄の権益を確保しようとする独自の保守のありかたは最近まで脈々と続いてきた。仲井真元知事も自己認識の範囲内ではそうなのだと思う。

こうした二項対立による保守と革新の交替の枠が崩れたのが、2014年の翁長知事の誕生であった。これについては、すでに多くの論者が多角的に論じてきた。


Photo by 津田大介

ここでは今回の選挙戦での判断材料に関わることのみについて触れる。

保守と革新の枠の崩れがこの4年間に進行する一方で、それに対する巻き返しとして、安倍政権に従順かそうでないかという新たな軸による力の政治の状況が生まれてきた。沖縄の自民=保守政治家にあった独自の足場による中央との綱引きの余地を有する者がいなくなってきた。独自の足場を持つ者は自民党を去った。あるいは恭順したことで沖縄での支持基盤を失った。

そうした中で、政府にパイプを持つ側の候補者として選ばれた佐喜真氏に、従来の保守政治家のような政府に対する独自の交渉力を期待できるかどうか。釣った魚には餌はやらないということになりはしまいか。

そして、これまでの沖縄の財界・実業界が自民党側につく知事候補に与えていたバックアップは、すでに翁長知事のときに、一枚岩のものではなくなった。その流れは、公共事業が重要な建設業界を除けば、さらに顕在化しているように見える。

人はこの6年の間のいつかの時点で、安倍政権が永遠に続くという思考に馴らされてしまった。そしてその政権への恭順や非恭順の度合いによって、利益の分配や不利益に与る度合いが決まるという思考にも急激に馴らされてしまっている。しかし、安倍政権との特権的なパイプは果たして永遠に有効なものなのか。


Photo by 柴田大輔

沖縄特別振興予算の一括交付金化においては、政府与党側の議員としての玉城デニーの尽力が役割を果たした(この事実は、選挙戦の中で、それを虚偽だとした公明党議員の発言が、フェイクと検証され、それによって皮肉なことにまた脚光を浴びた)。

さらに言えば、知事が政府と同じ政治陣営に属することで財政的な優遇を得られるというのは全面的に事実か。そうだとしても、公共事業が一部の業界のみを潤しただけで、結果的に沖縄の産業構造に中央への依存構造を作り、自立を妨げたのではないか。そうした疑問は尽きない。ここで私には到底論じきれることではないが、今は一枚のグラフだけを引用しておきたい。


出典:琉球新報 2018年8月28日

中央政党と同じ政治陣営に知事が属さないと経済的に干上がるという、人々の意識に長く刻み込まれてきた観念は、翁長県政下の経済的実績とともに検証されるべきだろう。そしてまた、沖縄の未来のより長期的な展望の中に位置づけられなければならない。

そして、あと少しで任期をまっとうできなかった4年間の翁長県政のあとの選挙は、4年前の争点を呼び戻すようにも見えながら、その一方で、4年前に後戻りできない地点に、2人の有力候補者を立たせている。

政策と選挙マーケティングの間

2018年の選挙の2人の候補者の主要政策を見てみよう。見出しだけをとってみる。

どれがどの候補のものかたちどころに分かるだろうか。9の左側「対立から対話」の表現まで読み進めてくればやっと気づくだろう。左側が佐喜真候補のもので、右側が玉城候補のものである。

両者が政策として挙げている項目はほとんど重複し、片方の何かの項目は、もう片方のどちらかに見つけることができるという具合である。それぞれ独自の小さな目玉のようなものはあるにしても、極論すれば、異なるのは辺野古の基地建設の問題だけであると言ってよい。

実を言うと玉城候補の主要政策のプレゼンテーションは、大きな理念から、詳細な具体策まで、複数の階層や部分に分かれ少し入り組んでおり 、上の15項目は、佐喜真候補の政策との比較がいちばんしやすい「実施政策」と題された部分からの引用である。ウェブ・サイト全体のデザインや情報量の配分まで佐喜真候補のものが分かりやすいというのは、玉城候補支持の一般市民でさえ、認めるところだ。

その差について、後者には優秀な広告代理店のプロがついているからというのは一つの説明だが、それ以上に両候補の置かれた位置による構造的なものがある。

まず、両者の政策の項目が似ているというのは、そのどちらもが土台とするものがあるからである。それは、仲井真知事のときに2012年に定められた「沖縄21世紀ビジョン」計画で、翁長県政へ引き継がれた。完成年度は2030年となっている。沖縄県のこれからの青写真と言ってよい。さらに言うなら、翁長県政下2017年5月にこのビジョンが改訂されたときに、新たに「子どもの貧困対策の推進」と「大型MICE施設整備計画」がつけ加えられた。様々な項目について実施計画があり評価とともに進められている。

息の長い計画の延長上に県政を担当する以上、実は誰が知事になっても、新たな魔法の杖のようなものを打ち出せるはずはない

2代の知事の県政に受け継がれ、実現可能性の議論や実施評価を重ねてきた、こうした息の長い計画の延長上に県政を担当する以上、実は誰が知事になっても、新たな魔法の杖のようなものを打ち出せるはずはない。むしろ行政の継続性という観点から、適宜の修正とともにそれを誠実に実行していくことが計画期間3代めの知事に求められるものとなる。

そしてこの時点で、候補者の置かれている立場と、戦略の違いが、政策の中身ではなく、プレゼンテーションに大きな違いを与えることとなる。

子供の貧困の問題はその典型例で、これを初めて本格的な調査とともに、可視化しその対策を打ち出したのは翁長知事のもとでである

子供の貧困の問題はその典型例で、これを初めて本格的な調査とともに、可視化しその対策を打ち出したのは翁長知事のもとでである。が、政治宣伝の観点から、子供の貧困が翁長知事のときに問題となり、そして新知事はそれの解決策をひっさげて現れたというように見せることが可能である。

選挙戦で政策全般を提示するにあたって、佐喜真候補は野党新人として白紙のところに新たに青写真を提示することができ、そのさい、本格的なニーズの調査・分析に基づいているように思われる。有権者目線に見えるのは、マーケティングにおける消費者目線ということに他ならない。そして、訴求力があるならそれほど実行可能性を顧慮しなくてもよく、実際に明らかに実行不可能なものまで打ち出している。有名になった携帯代の40%値下げはその典型だ。

LGBTの施策のような、もともと相手陣営の目玉商品であるものを含めることもしている。その軽さが、新しさとダイナミックな政治家を演出する。市民のニーズを敏感に拾い上げ、柔軟に政策を提示できるのは、政治家として重要な能力であるが、しかしそれは実行が伴っての話である。佐喜真候補については、過去の宜野湾市長選挙のおりに出してきた、ディズニー誘致や給食費無料その他の公約が履行されていない点について幾度とネットで指摘されているが十分な回答をしていない。

一方で、玉城側は翁長県政の継承を表明したところで、むしろ行政目線になってしまい、現在の計画の中での可能性の範囲からしかアピールできないという制約に縛られているように思われる。出来るのは大きな路線を確認することだ。それが理念先行に見える。それに加え文書のプレゼンの不器用さというハンディがある。佐喜真に対抗するために、目新しく訴求力のあるワンポイント施策を打ち出せるかどうかだが、実行ということに誠実であればあるほど、無理できる限界はある。


©ポリタス編集部

経済政策にしても社会施策にしても、構造的なものと関わっているかぎり、実践的に着実な、そして長い取り組みが必要である。知事一人の号令で一挙に実現できるものではない。スタンドプレーから無縁なところで、理念を明確に示しつつ、必要なことに優先順位をつけ、開かれた議論とともにその実行を可能にする環境を作り出すのは知事としてのだれかということが問題になるだろう。

有権者にもそれを見抜く力が要る。

特異な選挙

争点の違いは本来ならば、それそのものについての政策論爭だけでなく、佐喜真候補であれば過去の宜野湾市長としての公約と政策実現の検証、翁長知事を継ぐとしている玉城候補であれば、4年間の翁長県政の総括と玉城氏の提言の整合性の検証も含めて、陣営間の討議によってその有効性が有権者に示され、それが投票への指針となるべきであった。

しかし、そうはならなかった。2014年に比べても極めて特異な様相の選挙戦がそれに代わったからだ。その特徴を以下に挙げる。

まず、ネットを中心としたフェイク・ニュースや誹謗中傷の類いのひどさである。ここではもう、一つ一つ事例を挙げる代わりに、9月22日に琉球新報が掲載した危機感に満ちた社説を紹介しよう。

「…今回の知事選では、模範となるべき国会議員までがツイッターで事実と異なる情報を発信していた。政治家の質の劣化を象徴する出来事だ。

言うまでもなく、選挙は民主主義の根幹をなす重要な制度である。怪情報を流布させて対立候補のイメージダウンを図る手法が横行するなら、政策そっちのけの泥仕合になってしまう。民主主義の自殺行為でしかない。」(「知事選・ネット投稿 民主主義壊すデマの拡散」琉球新報 2018年9月22日)

現代版「イモ・はだし論」にも事欠かない。上の社説で「事実と異なる情報を発信」と指摘されている国会議員は、次のような文言をツイートしていた。「デニー知事になると、沖縄経済は、即日死亡する

会社ぐるみの期日前投票は、票読みのためのリスト作成などという甘いものではなく、実際の投票を報告するものとなり、その証拠まで求められるようになったようだ。

「沖縄県知事選の期日前投票で、特定の候補者を書いた投票用紙を撮影して報告を求める企業があるとし、沖縄県内の有志弁護士でつくる「投票の自由と秘密を守り公正な選挙を求める弁護士の会」の池宮城紀夫代表らが20日、県選挙管理委員会に対し、投票所での写真撮影を禁止し、周知するよう求めた。」(投票所内での撮影禁止求め弁護士が要請 知事選期日前投票|琉球新報 2018年9月21日)

候補者を支持する中央の系列政党の支援それ自体は法的にはなんら不正なものではないが、それにしても、一選挙区の様相を変えるほどの運動員の投入は、有権者が理性的に判断する機会を阻害するものとなるだろう。

これについて、公明党の支持母体である創価学会が県外から数千人を動員という情報を目にするが正確なことは分からない。ただし、電話作戦のためのマニュアルがネットに流出している。

政策論争の代わりに、「相手候補へのデマ中傷、会社ぐるみの期日前投票動員、中央からの大量資源投入」これに加え、「争点隠し」……これは今年1月に名護市長選で用いられた。

「最後まで自分が誰と戦っているか分からなかった」

争点とは辺野古新基地建設への賛否だったが、現職の稲嶺市長に対し、政府与党の支援を受けながら挑む渡具知武豊候補は、そのことへの態度表明を徹底的に避け、結局上記の方策すべてを組み合わせて選挙戦を展開した。そして、辺野古の新基地建設に一貫して反対してきた稲嶺市長は2期にわたって行政手腕を発揮したのにもかかわらず、渡具知候補に敗北した。6月に東京で開かれた講演会で 「最後まで、 自分が誰と戦っているか分からなかった」と稲嶺氏は無念そうに語っていた

このいわば名護方式がそっくり応用されたのが5月に行われた新潟県知事選挙で、原発の再稼動問題への意思表明を隠したまま政府与党の意を受けた候補が当選した。

そして、この沖縄県知事選挙が同じパターンで戦われようとしている。

政策論争が行われず、物量作戦により、個人の自由意思による投票権が阻害・操作された、 いわば「公共圏を剥奪された選挙」で政府与党の決めた人物が半自動的に自治体の首長になる

私はこの点が今回の選挙において、普遍的な価値軸からして、最も重要な看過できない点だと思っている。政策論争が行われず、物量作戦により、個人の自由意思による投票権が阻害・操作された、 いわば「公共圏を剥奪された選挙」で政府与党の決めた人物が半自動的に自治体の首長になるようであれば、そして、それが全国に広がっていけば、自治体選挙の形骸化であり、知事は任命制度による県令と変わりなくなる。

そして、期日前投票の動員ですべて勝敗が決まってしまうのであれば、こうした場所で人々が論を公表したり、議論すること自体が無意味になってしまう。


Photo by Ryosuke Sekido (CC BY 2.0

文の冒頭で、沖縄の選挙についての県外からの過剰な介入的発言に違和感を抱くと書いたが、それは地方の利害に基づく意思決定に関しての話で、制度の普遍的な価値に関る部分はまた別である。これに関して言えば、全国から厳しい批判が集まるべきだろう。

私は、占領下でもっと露骨な干渉のあった1968年の選挙とその結果を投票率89.1%の数字とともに思い出している。

争点隠しがあるのなら、それをもう一度あぶり出すのは、メディアや有権者の仕事ではないだろうか。佐喜真候補は、翁長県政そして玉城候補が表明している辺野古の建設工事反対の立場に対し、直接の意思表明をしていない。しかし、埋め立て工事が承認撤回によってかろうじて止められている状況を見れば、佐喜真氏が知事となれば、工事が再開し新基地の工事が進むということを思わない人はいないだろう。その暗黙の了解を佐喜真候補の発表した文言の中に探してみる。

基本政策の中に「辺野古」の文字は一度も出てこないが、辺野古に関る唯一の部分はある。引用してみよう。

「9. 対立から対話へ 基地負担の軽減と駐留軍用地の跡地利用の推進」の中の小項目として「普天間代替施設の建設に伴う住民の安全確保と環境保全の徹底。—— 現在進められている建設工事について久辺三区住民の意見を丁寧に聞き、工事から派生する住民及び環境への提供[ママ]を徹底的に防止します」とある。

「提供」はたぶん「影響」の間違いで、それだけでもこの部分のぞんざいな扱いが分かるが、工事の続行を前提とした文言であることは明らかである。

有権者も、自らの判断と責任を回避し先送りするような気持ちで、ほんとうは反対だけど……今回は……というような訳には行かない

争点は隠されていても、有権者は、そこにある分岐点をきっちり見極めるべきだろう。辺野古の埋め立てが重要な争点であることをもう一度認識し、国の進める建設を支持するなら、そこに向かう候補者に投票すればよい。支持しないのならきっちりと反対している候補に投票するべきだろう。有権者も、自らの判断と責任を回避し先送りするような気持ちで、ほんとうは反対だけど……今回は……というような訳には行かないように思う。今まさに最大の分岐点にいる。

誇りある豊かさ

「イデオロギーよりアイデンティティー」 翁長知事を先頭に左右を越えて結集することをこのスローガンは可能にした。私も、自分の中の「沖縄の血」が、これによってくすぐられることを体験した。しかしながら、その一方で、それはこのままでは、魔法のフレーズとして機能し続けはしないのではないかと感じている。

ここでいう「イデオロギー」がもともと日本の保守の人たちが左派の人たちの政治性を指して通俗的に使われていた用法を踏襲したもので、社会学的・政治学的な用語としてのものではないことが人文科学の研究者の私に、どこかで「ちょっと待てよ」と言わせる。しかし、そういう野暮なことは今は脇に置いておこう。私自身、そうした厳格な意味では違うと思いながら、その言葉が発せられることの真意は十分に理解し、共感を持って共有はした。しかし、もう一つ「ちょっと待てよ」と思わせる要素がまた別のところに存在する。

私は宮古島の生まれである。そこで私の使う言語では、人の地理的・文化的アイデンティティーは、ミャークぴト(宮古人)、ウクナーぴト(沖縄人)、ヤマトぴト(大和人)…というようには分類されている。その中で、沖縄本島の人が発する「ウチナンチュ」というアイデンティティーの呼びかけは自然な所与のものとしてはぴんとこない。 恐らく私のような宮古の人にとって、「沖縄人」を他者としてでなく、自分を包摂して考えるような発想は、戦後、27度線で先島を含む沖縄県全体が、政治的単位として本土と切り離されること、その中で「本土 vs X」のXの一員として、ある文化的・政治的役割を担わされ、あるいは自ら担う中で浸透してきたものである。

そして、私の個人的なことで言えば、18年間宮古で育ち、それと同じだけ日本本土で暮らし、その間祖父母を含む親族の大部分が住んだ沖縄本島に馴染み、そしてそのあと欧州の中でも文化的アイデンティティーとナショナリティーが歴史的に軋んでいる場所での10年余の暮らしを経て、また日本に戻り、その年月の間「日本」への違和感が増すとともに、宮古人、沖縄人、日本人という複数の選択肢の中から、沖縄人というものを、自分にとって今生きていく上で最も心地よく安定する文化アイデンティティーとして採用した。

私の場合、少し周辺的な例としても、アイデンティティーへの呼びかけは、自然的に存在するものへの帰依ではないし、それ自体がイデオロギーである。そして、それはもしかして、現在の政治情勢の中で、いっそう強烈な意味を持たされたイデオロギーの一つではないかということは意識するべきだろう。でないかぎり、その「自然」を共有しないものがいつの間に排除されていることになる。また、そのイデオロギー性があからさまに見え隠れするとき、そこに忌避の感情が生まれてくる可能性がありはしないか。とくに、沖縄の外で暮らした経験がなく、文化摩擦を経験したことのない若い世代において。

戦後入ってきたアメリカ文化の影響をも文化アイデンティティーに包摂しているはずの玉城デニー氏が、多様性への志向を重要な柱とする新しい沖縄文化のアイデンティティーの形成に大きな役割を果たせるのではないか

これからの沖縄のアイデンティティーは、自然の所与のものを越えて多様なものを含みながら構築途上にあると期待したいと常日頃思ってきた。その意味で、戦後入ってきたアメリカ文化の影響をも文化アイデンティティーに包摂しているはずの玉城デニー氏が、多様性への志向を重要な柱とする新しい沖縄文化のアイデンティティーの形成に大きな役割を果たせるのではないか。

佐喜真候補が沖縄のアイデンティティーをどう考えているかについてほんとうのところがよく分からない。発表された政策には沖縄文化についてのいくつかのポイント的施策はある。しかし、玉城候補の政策と違って「しまくとぅば」についての施策はない。本人も空手をやるというし、フランスでそれを披露したこともあるというから、沖縄文化についてのいろいろな個人的思いはあるだろうし、私的に話せばウチナンチュとしての本音もあるかもしれない。

佐喜真氏は「日本人としての誇りを持たなければならない」とスピーチする。それを見るかぎり、沖縄のアイデンティティーを消去した日本文化への完全な同化を志向しているようにしか見えない

しかし、表に出てきていたものとして、私が胸騒ぎのするほど不安を覚えるのは、宜野湾市長であった彼が来賓として参加した日本会議系の団体による「沖縄県祖国復帰42周年大会」の動画記録である。そこでは、那覇市内の保育園の園児たちに教育勅語の現代語訳版を暗唱させ、佐喜真氏は「日本人としての誇りを持たなければならない」とスピーチする。それを見るかぎり、沖縄のアイデンティティーを消去した日本文化への完全な同化を志向しているようにしか見えない。

何故か日本会議は、佐喜真氏が一度は自分が公言した日本会議への所属を選挙戦の最中に否定するや、その動画をページごと削除してしまった。その活動そのものも、そして、そのことを隠蔽する態度にも、私は不気味なものを感じる。この点に関しての説明責任は政治家としての基本的倫理に関わるものだ。

佐喜真氏は市長時代に、自衛隊に対し18〜26歳の入隊適齢期の市民の個人情報の入った名簿を本人の同意なしに要請に応じて提供していたことが問題になった。市民の私生活より自衛隊の活動を優先するその態度は私にとって不安である。今私の故郷の宮古島は、まさに争点隠しにより市長の座を維持している現市長のもとで、なし崩し的に陸上自衛隊の配備が進められている。翁長知事は市長選でそれに反対する候補を支持し、玉城氏は実際に反対行動に参加し知事選にあたって改めて配備反対を表明した。現在進められている先島の軍事要塞化は、行く行くは米軍との共同使用を念頭に進められている資料が出ている

普天間から基地はなくなったが、先島が基地の島になってそれでいいのか、普天間で経済発展阻害要因とされているものが、先島では経済発展に資するのか、島の人々にとっての自衛隊配備のメリットは何なのか、この知事選に際して考えるべきことだろう。

上で触れた日本会議の動画で私の脳裏に焼きついて離れないシーンがある。それは園児たちが、海老反りの格好になったまま手をつき、つまり四つん這いの反転したような姿勢で、集団で移動して行き、それをアトラクションにしているものである。遠目には巨大なムカデのようなものにも見える。最初一瞬海老反りではなく、単なる四つん這いのように見えたとき、「膝を屈する」という言葉が浮かんだ。誤解ということは分かったが、さらにその姿勢に思いを馳せるたびに、そして佐喜真氏の「日本人としての誇り」という言葉と合わせるときに、立派な日本人として認められるためには、そんな無理な姿勢を人前でしないといけないのか、自分にとって自然な、思い思いの姿勢やペースで歩いては何故いけないのかと思った。

立派な日本人として認められるために、私たちの先輩の世代の多くの人たちが、無理な姿勢を強いられてもそれに耐えて生きてきた

立派な日本人として認められるために、私たちの先輩の世代の多くの人たちが、無理な姿勢を強いられてもそれに耐えて生きてきた。その努力の行き着く先が、戦争中の多くの人々の悲惨な体験だった。

誇りある豊かさ」——翁長知事の遺した言葉の中で個人的にいちばん好きなのはこれだ。誇りをとるか豊かさをとるかという二項対立から脱し、誇りを持ちながら豊かさを志向できると気づかせた。そして誇りを持つこと自体が豊かさだとも。

沖縄の経済の問題の原因は、資本主義における「中央ー周縁」の構造から来る問題

沖縄の経済の問題の原因は、一部で指摘されるように「遅れた」メンタリティーのような文化的問題ではない。みもふたもなく言ってしまえば、資本主義における「中央ー周縁」の構造から来る問題だ。それを解決するためには、現在の、落とし込まれているその位置関係をずらすしかない。その構造にはまったまま、どんなに海老反りになってがんばっても、それを上手にマスターする少数の者は生まれたとしても、皆には豊かさはやってこないだろう。

構造を自分のためのものに少しずつでも作り変えるには、誇りを持った文化的豊かさが必要だ。道は長いはずだが、その一歩が、この選挙にかかっている。数十年のスパンで見れば、何があっても最終的にはその道を歩んでいくと私は楽観的に信じているが、回り道は少ないほうがよい。

著者プロフィール

友利修
ともり・おさむ

国立音楽大学音楽学部教授

国立音楽大学音楽学部教授(音楽学)。1958年宮古島生まれ。沖縄県立宮古高等学校、九州芸術工科大学芸術工学部音響設計学科、国立音楽大学大学院修士課程音楽研究科(音楽学)、ストラスブール大学DEA課程(芸術学)修了。同大学講師を経て、2006年より国立音楽大学教員。専門は19世紀の西洋音楽史。

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