ポリタス

  • 論点

「無音」の統一地方選、早急に政治と民主主義を理解するための「道具立て」の導入を

  • 西田亮介 (立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授)
  • 2015年4月12日

政治選択の契機にすらならない「無音選挙」

2015年4月12日、統一地方選挙前半の選挙の投票日を迎えた。選挙戦が現職優勢で大きな変化がないことを「無風」というが、今回の統一地方選は、無風どころか、いうならば「無音」である。

メディアが報じているのが「統一地方選挙が実施されること」ばかりであるのには、いくつかの理由が考えられる。たとえば知事選は、北海道、神奈川県、福井県、三重県、奈良県、鳥取県、島根県、徳島県、福岡県、大分県の計10の自治体で実施されるが、このなかで自公と民主の対決になっているのは、北海道と大分県の2つに限定されている。それ以外は、自公も、民主も、同じ候補者を支援する「相乗り」だ。

地方選挙はもちろん地方のあり方を決めるものだが、日本の地方政治は国政ときっぱり切り離せるものではない。そしてその連続性がある以上、統一地方選での有権者の選択は、国政への賛否のバロメータとなり得る。しかし、その選挙には対立図式がなく、争点が明確にならないため、全国メディアで取り上げにくくなる――結果はご承知の通りだ。統一地方選は盛り上がらない。

こう書くと、すぐさま「地方選挙は、最も身近な選挙だ」という声が飛んできそうである。だが果たして日本の現状は本当にそうなっているだろうか。地方の問題が、必ずしも国政の問題と連続性を持つわけでもない。また、日本の地方で起こっている事柄について、当該地域、厳密には当該選挙区以外の国民が関心を持つ可能性は低く、それゆえにますます全国紙で取り上げる理由は乏しくなる。さらにトドメを刺すように、肝心の候補者が差異化のできる、具体的なメッセージや政策を明示した選挙運動を行っているとも限らない。地方政治における首長の影響力は絶大だが、それですら名前連呼の前時代的な選挙運動が主流である。これでは盛り上がるべきものも盛り上がらない。そんな統一地方選が「身近」であるわけがない。

頭が痛くなるような話だが、地方議員選挙は「無投票」という場合も多いのだ。

毎日新聞は、立候補者が少ないなどの理由で、無投票が過去最高になると報じている。選挙は、有権者による政治選択の契機だが、つまりはその機会すらなくなってしまうことになる。

Photo by GruenesMonster72CC BY 2.0

地方選挙に関心を持つのは、意外と難しい。言葉の持つ本来的な意味に立ち返ると、「統一」地方選挙は、自分の選挙区に限らず、この期間が「政治の季節」になり、有権者が選択可能な選択肢があり、様々なメディアによって政治的文脈が提示されているほうが国民にとって望ましいに違いない。ましてや公職選挙法が定める現行の選挙運動期間は、概ね2週間弱と極めて短いのだ。

やはり野党が攻めあぐねた影響は大きいだろう。直前まで盛り上がっていた政治とカネの問題はいったいどこにいってしまったのだろうか。新聞やネットニュースが時折、思い出したように統一地方選挙に言及したが、ここまでに述べてきた全ての事象が災いとして、生活者の印象としては圧倒的に「無音」だったといわざるを得ない。

日本はどうしてこうなってしまったのか。まず根本的に、社会のなかで政治や選挙、民主主義を理解するための「道具立て」があまりに乏しいことが挙げられる。2012年の衆院選を告知するポスターにAKB48のメンバーを起用したり、各地でその地域出身のタレントを起用した啓発キャンペーンを行ったりと、悪戦苦闘する様子が伺えたが、大した効果をあげているようには見えない。

では一体、国民が政治や政局を具体的に理解し、投票に役立てるための「道具立て」を修得する機会を提供するにはどうすればいいのか。残念ながらいまの日本の教育課程をひも解いてみても、政治経済は「原理原則」が中心で、現代社会は「人権問題」や「環境問題」といったイシュー別の構成となってしまっている。中等教育は言うに及ばず、大学、それも法学部や政治学部でもない限り、政治や民主主義について自主的に考える機会を積極的に提供できているわけではない。

Photo by Anita RitenourCC BY 2.0

いま日本に必要なのは民主主義の「学び直し」だ

ところが最近、かつての日本はどうやら違ったのかもしれないと思う機会があった。それは当時の文部省が1948年から1953年まで用いていた教科書の『民主主義』(上下)を読んだことによる。この『民主主義』は、GHQの指示のもと、法哲学者の尾高朝雄が編纂したもので、現在ならおそらく大学で使うにしても難しく感じるほど守備範囲が広く、内容が充実している。「民主主義とは何か」からはじまり、その留意点、ファシズムや独裁との差異、資本主義と社会主義の対立、日本における民主主義定着の歴史、民主主義を維持する方法論等々、この本を1冊読めば一通りのことはわかるようになると言ってもいい。いったい当時はどのような教師が、どのようにこの教科書を用いて授業を行っていたのだろうか、大変に興味が湧く内容であった。

翻って現代において主権者教育や市民制教育といったときに、なぜ、こうした内容を取り扱う話にならないのだろうか。もちろん、政治的中立を巡って、上記のテキストに対しても、作成過程から多くの批判が投げかけられたようだ。だが、このテキストが示す第2次世界大戦の敗戦直後という、最も真剣に、日本に民主主義を定着させようとした時期に、これだけの内容を教育のなかで扱う必要があったという、その事実は重たい。

Photo by Flavio~CC BY 2.0

コストを払い、民主主義を、そして地方政治をいかにして支えるのか、答えを導き出さねばならない

しかし、現在の日本の政治と民主主義は、「由らしむべし、知らしむべからず」といった雰囲気がある。戦後70周年を迎えるにあたり、いい加減、解消していかなければならないのではないか。むろん、教育コストの課題はある。しかしわれわれはそのコストを払い、民主主義を、そして地方政治をいかにして支えるのか、答えを導き出さねばならないところまで来てしまっている。有権者が政治を理解し、判断するための総合的な「道具立て」を、いかにして社会に提供するのか、「無音」の統一地方選挙に関連して、本稿を読んだ人は、どうか一緒に考えてみてほしい。

国民が民主主義とは何かを学ぶ機会が与えられておらず、立候補者不足で無投票が多く、立候補者が複数いたとして対立も差異もなく、国政との絡みがなく争点が見えづらいためにメディアが取り上げようとしない「無音」の地方選挙を。日本の地方政治は国政ときっぱり切り離せるものではない。すなわち、日本の「無音」の地方選挙の地続きに、日本の「無音」の国政選挙が控えている。問題だらけの選挙であるということは、裏を返せば、いま、どこからでも変えることができる。

4月26日を投開票とする統一地方選後半戦では、政令指定市以外の市区町村の議員選挙と首長を選ぶ選挙が行われる。メディアとして日本の政治を変えようとする「ポリタス」の企画をはじめ、もう少し政治や前哨戦の議論を含めた、盛り上がりに期待したい。

Photo by Larry LamsaCC BY 2.0

著者プロフィール

西田亮介
にしだ・りょうすけ

立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授

専門は情報社会論と公共政策。社会起業家の企業家精神醸成過程や政策としての「新しい公共」、情報と政治、地域産業振興、日本のサーフカルチャーの変遷等を研究。 1983年京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。同助教(有期・研究奨励II)、(独)中小機構リサーチャー等を経て現職。著書に『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、『ネット選挙とデジタル・デモクラシー』(NHK出版)ほか。

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