統一地方選挙で問われている課題は、戦後日本からの撤退戦略である。高度成長期や日本列島改造論など、日本全域から日本という国を盛り上げていく戦略を大転換して、地方中核都市を拠点に地方自治体を整理・統合することである。縮約する戦略のあり方である。
理由は単純極まる。これからの日本では出生率の低下から労働人口が縮小し、高齢者の増加から医療・介護の重要性が増すからである。病院を中心とした地方中核都市に人を寄せていくしかない。
この課題が明確でありながら、今回の統一地方選挙には障害がある。本来の課題を覆い隠す疑似問題である。それは2つある。1つは「既存の右派左派のイデオロギー」である。左派であろうが右派であろうが、彼らのイデオロギーは現下の課題の解決には寄与しない。振り返れば誰でもわかることだが寄与したことすらなかった。この領域は議論するだけ無駄である。不毛な議論域に立ち寄ること自体が問題解決の障害になる。
もう1つの疑似問題は「地方創生」である。「地方創生」がなんであるか、という定義以前にスローガンとしての語感から、現在必要とされる撤退戦略の障害になっていることは理解できるだろう。問題が複雑になるのは、「地方創生」の裏の顔が戦後日本の撤退戦略でもある点だ。私はこの複雑さについて、この選挙が有益に進むように整理してみたい。
「地方創生」は偽物の看板である
「地方創生」の定義は、はっきりしない。はっきりさせたら裏の顔が活きないからである。それでも定義らしきものは掲げられている。いわく、「人口急減・超高齢化という我が国が直面する大きな課題に対し、政府一体となって取り組み、各地域がそれぞれの特徴を活かした自律的で持続的な社会を創生することを目指します」。一読してわかるが、普通の意味では日本語としては定義になっていない。「各地域が……社会を創生することを目指します」は「地方創生」の同義反復でしかない。
意味不明にも見える説明の主眼は、前段の「人口急減・超高齢化という我が国が直面する大きな課題」にある。そこでは私が設定した課題意識と的確に合う。
問題は日本の「人口急減・超高齢化」をどうするか
逆に、時事用語辞典的に「大まかに言えば、地方創生とは地域振興・活性化といったものを指しているといえる」というのは煙幕でしかない。毒舌から舌禍を起こすことで有名な麻生太郎副総理兼財務大臣が2014年9月2日、「今の段階でこれが地方創生なのだという定義がはっきりしていないように見える」と述べたのは、存外に正直な言明である。問題は、日本の「人口急減・超高齢化」をどうするか、ということで地方をどうやって活性化するかではない。
つまり「地方創生」は、偽の看板である。この看板が危険なのは、この課題自体は「世界平和を求めます」とか「核の廃絶を祈願します」といったスローガン同様、正しいとしてもなんの具体的な意味もなく、そのレベルでは反論すらできないことだ。
ゆえに、「地方創生」はどんな内実なのか、そこから問わなくてはならない。
「地方創生」は「日本創成会議」の駄洒落
ここに来て「地方創生」が一枚上着を脱ぐ。現れたのは「日本創成会議」である。「日本創成」を駄洒落のように「地方創生」と言い換えたと見てよい。実は先の麻生大臣の毒舌は「くだらないものをひっぱりだしてきたな」という批判の含意があった。「地方創生」として語られているものと「日本創成会議」の主張には差は見られない。以下、基本的に同一として見て行きたい。
地方創生には、3つの視点があるという。
・ 若い世代の就労・結婚・子育ての希望の実現
・ 「東京一極集中」の是正
・ 地域の特性に即した地域課題の解決
一見、「地方創生」というスローガン同様無意味に見えるが、この3点を落語の三題噺のようにつなげると、「東京から人口を引きはがし、地方にもってきて、地方の問題を解決させる」となる。
そう言ってみて、奇っ怪なことを言っているなと気がつくだろうが、これにはさらにとんでもない裏がある。「東京から引きはがす人口」の正体は「女性」なのである。このことがなぜ話題にならないのか不思議なほどだ。日本の政治状況では何かが麻痺している。
そもそも「日本創生会議」の主張がインパクトを持ったのは、2014年に日本創成会議が「消滅可能性自治体リスト(896自治体)」を発表したからだ。リストに掲載された自治体や、そうした自治体を抱えた都道府県が「自分たちは消滅するのか」との危機感から慌てふためいて大騒ぎとなり、「日本創生会議」がめでたく安倍政権の政策の重要事項にまで上がった。もっと言えば、そもそもこの議論は、時期的に見て統一地方選挙でカネをばらまくための名目でもあった。2020年のオリンピックで盛り上がる東京とのバランスも多少はあるだろうが。
「地方創生」の論理は「産む機械」と同じ発想
そこで「どうして地方自治体が消滅するのか」という論拠だが、当然人口減少である。具体的にどのような人口減少予測なのか? ただ人口数が減るというのではない。2040年までに「若年女性」が896自治体で人口半減することだ。ここでいう「若年女性」とは出産可能な女性のことである。
ようするにこれは、2007年、当時の柳澤厚生労働大臣(第一次安倍内閣)が「女性は産む機械」発言をして大問題になったのと同じ発想である。そもそも人口学の人口推計で「リプロダクションのしくみ」として重要なのは「出産可能な女性」であり、実質、同じことでもあった。
「東京から若い女性を引きはがし、地方にもってきて、地方で子どもを産ませる」
しかし問題なのは、「女性は産む機械」という発想が「日本創成会議」に込められていることではない。「若い女性を東京に流さないように地域に貼り付けろ」ということである。あえて露悪的に先の三題噺のフレームに落とし込んでみれば、「東京から若い女性を引きはがし、地方にもってきて、地方で子どもを産ませる」ということだ。
メディア王国ハルパゴス将軍の名言、「ば~~~~~~っかじゃねぇの!?」以外に返す言葉がない。
「地方から若い女性が出るな」とか「東京から若い女性を地方に戻せ」とか、何というのだろうか、ありえない。そんなことできるわけない。こんなヘンテコな議論をしなければいけないのかというところで、極度な疲労が襲う。先に触れた「日本の政治状況では何かが麻痺している」原因でもあるだろう。
日本創成会議のメンツが何を言おうが、こんな愚論が与党に上がり、政府に上がってくるのは、これが「使える」からである。使える理由は、消滅可能性自治体という「脅し」が利くからだ。
本当に「脅し」にすぎないのか? 実際に2040年には多数の自治体が消滅するのではないか?
確かに、2040年には多数の自治体が消滅するだろう。そこがおそらく変わることはない。むしろ、「地方創生」は壮烈に失敗して、その分は焼け野原になるだろう。
このくだらない脅しは、官僚機構にとっても「使える」
ではそんなことを、与党はさておき、「優秀な」官僚機構が是認しているのだろうか。
そうではない。このくだらない脅しは、官僚機構にとっても「使える」のである。
どのように「使えるのか」? そこが今回の統一地方選挙の本質だと言ってよい。
なぜ消滅可能性自体で「脅す」のか
消滅可能な自治体は消滅しない地方自治体に統合していけばいい
ハルパゴス将軍の名言を繰り返したくなるが、そもそも、地方自治体が消滅しても地域がそのまま消滅するわけではない。地域住民が死に絶えるわけではない。消滅可能な自治体は消滅しない地方自治体に統合していけばいいだけのことで、それに合わせて、住民を地方の拠点に集約していけばいいだけのことだ。
このくだらない「脅し」が官僚機構によっても「使える」のは、自治体統合を推し進め、住民を集約する、という点である。
そのように官僚機構が動くのには背景がある。話は、前回の2007年の統一地方選挙に関連がある。その前年、国は地方債制度の転換を打ち出した。従来の許可制度から協議制度に変わることで、表向きは地方が国の許可なく地方債が出せる(借金ができる)。だが、裏を返せば地方の借金を国が庇い切れなくなるということで、協議基準を名目に「実質公債費比率」を出してきた。簡単に言えば、地方自治体の経営が健全であることの指標である。この指標によって、すでに財政破綻していた地方自治体が明らかになった。つまり、前回の「実質公債費比率」も「使える脅し」だった。これが「平成の大合併」による市町村合併追い込みの推進エンジンになった。
今回の消滅可能性自治体リストも趣向としては同様である。新たな地方自治体合併が模索され、その推進エンジンとなるだろう。脅しの矛先を変えただけだ。変えた理由は、余力のある地方自治体同士が合併すると、残された自治体の生活が崩壊してしまうからだ。有利な地方自治体による身勝手な地域の活性化によって、消滅可能性の地方自治体が本当に見捨てられてしまう。
消滅可能性自治体に向き合おう
まとめよう。「地方創生」は表向きは荒唐無稽な「脅し」にすぎない。だが、「脅し」を使わないと、効果的な地方自治体合併としての縮退戦略が採れない。
日本国は、縮退戦略を採るしかないと決めたら、どんな脅しだってやる。裏にどんなひどい話があっても表向き反対できないスローガンを掲げていく。
どうしてこんなひどいことになってしまったのか。
国から、脅さなければ動かないと地方は見透かされている
それはひとえに地方自治体が自立した経営に関心をもってないからだ。そのことは今回の統一地方選挙の無投票当選にも投票率の低さにも関わっている。国から、脅さなければ動かないと地方は見透かされているのである。私たち日本の市民が、自らが住む地域の存続をどうするのか。近隣の自治体の統合を自分たちの課題として考えなければ、国は脅しでもなんでも使って、代わりに考えてくれる。
そんな状態が続くわけもないし、好ましいことでもないと思うなら、消滅可能性自治体をどう扱うかについてビジョンのある議員を、市民は、この統一地方選挙で1人でも多く選ばなくてはらない。