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  • Photo by MIKI Yoshihito (CC BY 2.0)

なぜ日本人の多くが自民党を選ぶのか

  • 福田充 (日本大学危機管理学部 教授 / 日本大学大学院新聞学研究科 教授)
  • 2017年10月20日

安全保障が争点の珍しい選挙

安倍晋三首相が衆院解散会見で発表した名称は「国難突破解散」であったが、このキャッチコピーには、山積する国難に対して一気にブレイクスルーをもたらすための権力を安倍政権に集約させてほしいという願望が含意されている。

本来であれば、小選挙区制をとる現在の衆議院選挙は、常に政権選択選挙の様相を持つ。その安倍政権の呼びかけに対して賛成するか、反対するかが問われる選挙だといえる。

北朝鮮ミサイル危機などの安全保障・外交問題、少子高齢化問題、生産性向上など働き方改革、教育政策、憲法改正など多様な争点が選挙で問われることになるが、今回の選挙の特徴は、各種メディアの世論調査でも明らかなように、北朝鮮ミサイル危機など安全保障・外交問題が選挙の主要争点となった、55年体制崩壊以後、珍しい選挙だということである。


Photo by yoppy (CC BY 2.0)

第2次安倍政権の特徴は、アベノミクスなどの経済政策よりも、むしろ安全保障政策において戦後の自民党政権が進めてきた路線を大きく踏み越えたことにある。特定秘密保護法安全保障法制テロ等準備罪は国内世論の中で大きな反対を受けながらも、選挙で得た数の力で押し通してきた。

筆者は特に自民党支持者ではなく、安倍政権支持者でもない。しかしながら、危機管理学研究者、安全保障研究者として、第2次安倍政権以降のこれらの法案に対して、政策的に賛成の立場を表明してきた。

新聞やテレビ等のメディア報道においても自分自身の立場を鮮明にして賛成してきた。紙幅の関係で詳細には述べないが、世界の戦争やテロリズムといった安全保障における国際協調路線に必要な基盤作りに寄与するものだからである。


Photo by MarineCorps NewYork (CC BY 2.0)

世界から戦争やテロリズムをなくす平和構築のためにこそ日本の平和主義を活かすべきであり、そのためには安全保障の国際協調から「孤立」すべきではない、という立場である。当然ながら残されているこれらの法制度の不備については、今後も粘り強く修正していく努力も必要である。

自民党の支持率はなぜ高いのか

選挙が公示された後の10月中旬の段階での安倍政権への支持率は、マスコミ各社の世論調査において支持率が30%台から40%台前半であるのに対して、不支持率は40%台前半から後半と、不支持率の方が上回っている。それにもかかわらず自民党支持率は30%台を超えて他の政党を引き離している。安倍政権に対しては不支持率の方が高いのに対して、自民党への支持率は政党トップであるという状態が続いている

一見不思議な状態のように見えるが、これは決して民主主義において特殊な現象ではなく、安倍政権の支持率と自民党の支持率が現在ほぼ同じであるという極めて自然な状態であり、40%を超える「支持政党なし」の無党派層が安倍政権の支持に結びついていない、というだけのことである


Photo by MIKI Yoshihito (CC BY 2.0)

つまり、今回の選挙において無党派層の多くが安倍政権になびくような追い風は決して吹いていない、とみなすことができる。それでも、メディア各社がすでに発表しているような自民党単独過半数という選挙結果予測は、選挙制度と社会調査の観点からは理解可能である。

その原因の多くは制度的問題――政権支持と、政党支持、小選挙区の候補者支持の間にある断層に起因する。

希望の党に自民党支持率以上の風が吹かない限りは、小選挙区において自民党が勝利するという結果がほぼ確定した

システム的に考えると、希望の党民進党の一部を飲み込んでも、立憲民主党と分裂して、共産党を含む野党分裂選挙という事態が発生した時点で、希望の党に自民党支持率以上の風が吹かない限りは、小選挙区において自民党が勝利するという結果がほぼ確定した。


Photo by APEC 2013 (CC BY 2.0)

自民党の強さはどこにあるか

日本国民は新党ブームにすでに飽き飽きしている。55年体制後期からみても、新自由クラブ社会民主連合日本新党新党さきがけ新進党自由党保守党みんなの党次世代の党、数多くの新党が結成されてはほぼ何も残さずに消えていった。すべてが政治家の自己保存のための野合の繰り返し。政権交代だけが自己目的化した悲劇を、われわれは93年政権交代2009年政権交代で大きな失敗として経験した。

これらの経験によって国民の中に発生した政治的シニシズムは、今回の選挙でも、希望の党に対して「いつか来た道」の絶望を見いだしたのである。

こうした新党ブームへの絶望とシニシズムを回収できる政党は、55年体制から存在する自民党と公明党、共産党しかない

そしてこの中で相対的に自民党が支持を集める構造は、戦後続いてきたように、今後も当面続くと考えられる。安倍政権の政策や政権運営に不満があったとしても、消極的選択の結果として他の野党より支持できる、政権を任せられるという政治的判断の積み重ねである。


Photo by Nori Norisa (CC BY 2.0)

自民党には、政策と理念の間口の広さがあり、自民党内で総理総裁が交代することで実質的な政権交代が発生するというリダンダンシーが従来の強みであった。そして、55年体制崩壊後も政権党として残した実績と、その長らくの歴史への信頼には絶大なものがある。

そして、これはあまり語られることはないが、戦前の日本にとって国体であり、戦後において象徴である「天皇」という存在を政治的に戴くことに成功している政党は、自民党しかない。天皇を政治利用することが許されない現代政治においても、日本国民は天皇とその背後にある日本の自然、文化、歴史の継続性という価値を重んじ、それと一体化することに戦後成功した自民党を信頼し、安心感を持てる精神構造を身につけている。

「天皇」という存在を政治的に戴くことに成功している政党は、自民党しかない

日本維新の会や希望の党など保守系政党が誕生しても、その存在の背後に戦後民主主義的な天皇の存在と価値を見いだすことはできない。それが自民党と他の保守政党の根本的な違いである。こうした議論はタブーであり、新聞やテレビでも決して議論されることはないが、政治学者としては看過すべきでない重要なテーマである。そのことと真剣に向き合わなければ、日本における民主主義や政党政治は不幸な失敗を繰り返すであろう。


Photo by kanegen (CC BY 2.0)

メディア報道の問題

選挙という政治行動と切り離せない存在が、メディア報道である。民主主義における第四の権力とも呼ばれるメディアは、選挙の動向にも大きな影響を与えてきた。

「政局」報道ではない、「政策」報道こそ選挙において求められており、ここにおいてはじめてメディアは議題設定機能を持つことができる。

テレビや新聞などの従来のマスメディアが繰り返す「政局」報道は、ホースレース的な興味関心を沸き立ててかつては視聴率や売り上げに貢献してきたが、同時に政局に対する政治的シニシズムも生み出してきた。「政局」報道ではない、「政策」報道こそ選挙において求められており、ここにおいてはじめてメディアは議題設定機能を持つことができる。メディアが設定するメディア・アジェンダが、有権者の中にパブリック・アジェンダを創り出し、投票結果により誕生した議会の中でポリシー・アジェンダとして実現するというジャーナリズムにとって理想的なプロセスを、現代のメディア自身が放棄している。


Photo by MIKI Yoshihito (CC BY 2.0)

選挙情勢調査がもたらすアナウンスメント効果が、どれくらい選挙民の意識や行動に寄与しているか、もしくは毀損しているか、より慎重な検討が必要である

「政局」報道の最たるものが、メディア各社が実施する衆議院選挙情勢調査という世論調査である。選挙開始と同時に世論調査が実施され、さらに終盤にも実施されることで、詳細な社会調査の結果として、有権者は投票前に選挙結果を知ることになる。こうした選挙情勢調査がもたらすアナウンスメント効果が、どれくらい選挙民の意識や行動に寄与しているか、もしくは毀損しているか、より慎重な検討が必要である。アナウンスメント効果は、世論の体制を認知する第三者効果として、バンドワゴン効果(勝ち馬効果)とアンダードッグ効果 (負け犬効果)の異なるベクトルを生み出すが、同時に自らの投票行動に対する無力感やシニシズムを生み出す効果も想定される。無党派層が増大し、選挙の投票率の低下が問題視される現在、これらのメディア報道の問題も議論されるべきである。


Photo by MIKI Yoshihito (CC BY 2.0)

日本の「リベラル」は本当にリベラルか

政治家とメディア、国民の間で民主主義と選挙をめぐる議論をより有益なものとするためには、日本政治の中で流通している概念的誤謬も正していかなくてはならない。今回の選挙では、与党と保守野党、リベラル野党の3極構造が実現したということが注目されている。しかしながらこの「リベラル」という表現には問題がある。

日本の政党はイデオロギー的に見て、リバタリアン(自由主義者)か、コミュニタリアン(共同体主義者)かと問えば、自民党から共産党までおしなべてすべてコミュニタリアンであるといえる。アメリカの共和党のようなリバタリアニズムは日本の戦後民主主義において一部の例外を除いてほぼ皆無であったといってよい。あれだけ安全保障や外交では何の実績も上げられなかったオバマ大統領に対してさえ、日本人の中で圧倒的な人気があったのは、彼がアメリカで国民皆保険制度や銃規制などの政策に取り組んだコミュニタリアンであったからに他ならない。日本人のコミュニタリアン的志向にぴったりと合うのである。

日本の政党は自民党から共産党までおしなべてすべてコミュニタリアンである


Photo by Chris Gladis (CC BY 2.0)

リバタリアンの政治的風土が希薄な日本において、リベラリズムの形が欧米的な民主主義と比較していびつであることは否めない。

当然、リバタリアニズムとリベラリズムは異なるものであるが、その共通的土台として「自由の価値」が存在しなければならず、コミュニタリアン的要素の強い共産党や立憲民進党を、リベラル勢力やリベラル左派勢力と呼ぶのは本来的に概念の誤用であり、政治学的に間違いである。

コミュニタリアン的要素の強い共産党や立憲民進党を、リベラル勢力やリベラル左派勢力と呼ぶのは本来的に概念の誤用であり、政治学的に間違いである

この見解には政治学の中にさまざまな立場があり、日本の政治学の中でも小さな論争があるが、その誤用が日本の政治状況、学問状況の慣例であるとして使用を認めている。このことを見過ごしている政治学者や政治家、メディアがはびこっていること自体が、日本政治をグローバルな観点で考えられない、ドメスティックな思考と言わざるを得ないだろう。

現代の日本政治に必要なのは、ドメスティックな政局と空気ではなく、グローバルな文脈に通用する政策とイデオロギーである。

現代の日本政治に必要なのは、ドメスティックな政局と空気ではなく、グローバルな文脈に通用する政策とイデオロギーである

こうした諸問題が極限化した選挙という意味で、今回の衆議院選挙は非常に有意義な価値を持つと同時に、国民全体が共通認識を持つことができれば、これらの諸問題を乗り越えるための契機となると考えられる。

著者プロフィール

福田充
ふくだ・みつる

日本大学危機管理学部 教授 / 日本大学大学院新聞学研究科 教授

1969年、兵庫県西宮市生まれ。博士(政治学)。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。専門は危機管理学、安全保障、リスク・コミュニケーション。内閣官房委員会委員、コロンビア大学戦争と平和研究所客員研究員などを歴任。著書に『メディアとテロリズム』(新潮新書)、『テロとインテリジェンス~覇権国家アメリカのジレンマ』(慶應義塾大学出版会)、『大震災とメディア~東日本大震災の教訓』(北樹出版)など。

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