アメリカでよく行われている環境問題解決の手法の一つに「ミチゲーション」という手法がある。
日本では国土交通省などで「減災」と訳されているようだけど、ちょっと意味が異なる。具体的にはこんな手順だ。
一つのハザード(環境上の障害問題)に見舞われ、それが回避できない場合、どのような代替手段(オルタナティブ)を提示できるか? ということだ。湿地回復問題などに多用されている環境修復手法であるが、この考え方は、多くの環境問題解決にも応用できる。
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豊洲問題にミチゲーション手法を適用すると?
築地市場か豊洲市場か? という問題は、まず、豊洲市場において、盛り土をしていないというハザードの発見から始まった。地下水の汚染も検出された。そして、そのオルタナティブとして、築地市場が選択されたが、今度は、その築地市場の土壌にも汚染の可能性が浮上した。
問題解決の進退は極まってしまった。それを契機に、あれもこれもと、両市場において、あら捜し的に、ハザードの指摘ばっかりが拡大していく。
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このような場合、ミチゲーション的考えだと、次のような手順を踏むはずだ。
① 豊洲市場でのハザードを避ける「回避」の段階
=豊洲市場の無害化② どうしても豊洲市場でのハザードが避けられない場合、プロジェクトの規模そのものを縮小し、ハザードのインパクトを小さくする「最小化」の段階
=豊洲市場の無害化に限りなく近づけるための取り組み③ この最小化も困難な場合、豊洲市場のハザードを別の形なり、別の場所で代償し、環境創造の形で補償する「代償」の段階
=豊洲市場の環境創造のための取り組み
この「回避→最小化→代償」の順序(Sequencingという)に従って、実行の段階を踏んでいき、ハザードの環境への影響を抑えるという道筋である。
この場合、オンサイト(現地)とオフサイト(隔地)という概念が登場する。
オンサイトはハザードが生じている豊洲市場そのものであり、オフサイトはハザードが生じている豊洲市場以外の場所、すなわち、築地市場またはその他の場所である。ミチゲーションの考え方は、「ハザードによる環境喪失は、その環境損失を贖いうる環境創造と、トレードオフ(チャラ)になる」という考え方だ。環境価値創出をクレジット(預入れ)とし、環境価値喪失をデビット(支払い)とし、その両者を合わせれば、トータルでの環境喪失は環境創造によって贖われ、ゼロになるということだ。これを「ノー・ネット・ロスの原則」という。
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最初は「オンサイトでのノー・ネット・ロス」のトレードオフがうまくいくことを考える。
それがうまくいかない場合、初めて「オンサイトとオフサイトとをトレードオフにしたノー・ネット・ロス」が試されるのである。
だから、豊洲市場環境問題をミチゲーション的な順序で処理するのであれば、本来は、オンサイトである豊洲市場でのハザードの「回避→極小化→代償」に努め、それがどうにもいかなくなって、いよいよ初めて最後の段階での、築地市場というオフサイトでの「代償」の段階に進むべきだったのだと思う。
しかし、実際の豊洲問題の流れでは、本来、初期の段階で率先して志向・解決すべき「地下空間のコンクリートなどでの遮蔽」などの措置策が、半年もの浪費された期間を経て、一番最後になって提言された、というお粗末さであった。
「築地は守る、豊洲は活かす」スキームの曖昧性
このように、現実での豊洲市場問題の処理過程は、いかにも醜悪なものだった。
このキャッチフレーズ、本当は「豊洲は守る、築地は活かす」なのじゃあないのか?
混乱の末、東京都議選挙の直前になって、ようやく示されたのが「築地は守る、豊洲は活かす」というキャッチフレーズの元での折衷案であった。でも、このキャッチフレーズ、本当は「豊洲は守る、築地は活かす」なのじゃあないのか?
第一、東京都の当事者の間でも、言われていることの辻褄が合っていない。ある東京都の顧問は、インタビュー記事で、こんなことを言われている。「新聞の見出しは『豊洲移転、築地再開発』となっていて、豊洲に行ったきりという印象を受けますが、豊洲に『一時移転・暫定利用』と言うのが正しい」と。
一方、小池東京都知事の記者会見では、「豊洲移転をするが、5年後に築地に戻りたい業者さんのためには、その受け皿を用意しておく」との趣旨のことを言われている。一体、「5年後の豊洲市場から再生築地への移転」というのは、全部なのか? 一部なのか? これでははっきりしない。
また、市場外流通と市場内流通との関係についても、依然として曖昧な言葉が発せられている。知事は記者会見で「豊洲市場は中央卸売市場」と言いながら、他方では、「豊洲をITを駆使した市場外流通の拠点に」との発言もされている。一体、豊洲市場を、市場内流通の拠点にするのか? 市場外流通の拠点にするのか? それとも、その両者の流通の拠点にするのか?
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一部都政関係者の間からは、次のような構想を漏らす向きもあるようだ。
すなわち、再生後の築地市場は、縮小し、地方卸売市場として機能させるというものである。現在、東京には、中央卸売市場11箇所のほか、地方卸売市場が練馬・東久留米・府中・国立・八王子・多摩・立川・青梅など12箇所がある。これらの市場の地域別・機能別再編も絡めて、築地市場のミニ化再生を図ろうとするものなのか? もし、その意図であるならば、豊洲市場は、中央卸売市場のままなのか? それとも、中央卸売市場を廃場し、それこそ、ITを駆使した市場外流通の拠点に転用するのか? そのあたりの道筋が、さっぱり見えてこない。
また、マクロでの「市場内・市場外流通」の問題と、ミクロでの「一つの市場の場内・場外」の問題が、混在して使われてもいる。
卸と仲卸と買参人との機能的な役割分担についても、明らかにされていない。円滑な資金決済を可能としている産地・卸・仲卸の機能を無視して、「卸と仲卸の分離」などという実態を無視した無神経な議論が続けられている。
さらに、「業者」という言葉が、いかにも、曖昧語として使われているのも問題だ。一体、それぞれの各場面で使われている「業者」という言葉は、その場合「産地・卸・仲卸・買参人・その他」のどれを指しているか?
それも曖昧のまま、「業者」という言葉が、その場しのぎに、無定見に使われている。
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経済的視点だけで築地のアイデンティティは構築し得ない
肝心の落とし所であるはずの「築地の再生」という言葉も、いかにも情緒的なビジョンの提示におわっている。そもそもの「築地の再生」とは何なのか? 築地再生の骨格をなすべき「築地のアイデンティティ」とは何なのか? 築地再生を、単に経済的な観点のみ重視した「食のテーマパーク」というような安易なハリボテ・スキームに依存していいのか? 築地を更地にすることで、築地の本来持つアイデンティティを創造・維持ができるのか?
Photo by Naotake Murayama (CC BY 2.0)
あの空中から見た築地市場の屋根の持つ円弧は、新橋の汐留貨物駅から築地の東京市場駅までの鉄道引き込み線が形成した、図らずもの意図しない結果から生まれた、偶然・必然の機能美であり建築美である。
それを守ろうとする力なくして、再生後の築地に強烈なアイデンティティが生まれるはずがない。そのことに考慮することなく、築地市場跡地を更地にして、テーマパーク的なハリボテ・スキームのみを構築したとしても、それは、かえって、築地の歴史に対する冒涜とすらなりうる。
おわりに
東京都議会選挙が、選ばれる側からの適切なプレゼンテーションに基づいての、公正な審判の場であるとするなら、曖昧なプレゼンテーションに対しては、曖昧な都民の審判の結果しか出てこない
東京都議会選挙が、選ばれる側からの適切なプレゼンテーションに基づいての、公正な審判の場であるとするなら、曖昧なプレゼンテーションに対しては、曖昧な都民の審判の結果しか出てこない。もっとも、それが選ばれる側での「曖昧なプレゼンテーションをすることにより得られる隠された狙い・政治的裨益」なのだとしたら、それは非常に悲しいことである。