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  • Photo by 岩本室佳

「治癒すること」と「復興すること」

  • 岡映里 (作家・精神保健福祉士)
  • 2019年3月11日

病気や災害をどうとらえるか

東日本大震災の発災当時、私は週刊新潮という雑誌の記者をしていて、被災地に初めて行ったのは3月18日、岩手県釜石市でした。

その後、4月22日に福島県双葉郡楢葉町で原発作業員を束ねる会社の社長をしているMさんに出会い、3年間毎週のようにMさんやその父親、そして楢葉町で一度も避難をせずに老母の看取りをした伊藤巨子さんに会いに行きました。その時自分が感じたことを著書『境界の町で』にまとめました。


Photo by 岩本室佳

取材をしている最中、私の精神状態は悪化の一途をたどり、2013年には重い抑うつ状態となり、起き上がることも着替えることも食べることもできなくなりました。精神科病院に行った結果、受けたのは「双極性障害」という診断でした。

なぜ病気になったのか。もちろん取材で見聞きした過酷な被災地の状況がストレスになり、それが引き金になった、それもひとつの理由だとは思います。

でも、それよりも何よりも一番の自分の精神を苦しめたのは、自分に課した「被災地を忘れてはいけない。復興のために記者として自分ができることをしなければならない」という「思い」でした。

そんな自分の「思い」に私のいる環境は応えてはくれませんでした。


Photo by 岩本室佳

東京では、震災の年の6月頃には被災地をテーマにした記事やニュース番組が激減し、私自身、編集部で出す企画がほぼ通らなくなりました。ものすごい勢いで「忘れ」られていくことを肌で感じ、そこに怒りを覚えたりもしました。

「復興」についても、Mさんのお父さんのように「津波で家まで断捨離できてよかったわ!」と笑い飛ばし、震災を「チャンス」だととらえて新たな生活に飛び込んでいく被災地の人がいる一方で、「東京電力に対して補償を申し込む書類が煩雑過ぎて書けない。書く元気もない」と、仮設住宅の集会場でうずくまっている人もいて、その様子を目の当たりにして苦しい気持ちにもなりました。

私にできることはあまりにも小さく、それでも「記者として」何かの役に立ちたいと自分でblogを立ち上げたりイベントを企画したりして発信を始めると、福島出身の作家の方には「福島をネタにして、福島を消費しようとしているだけでしょう」と面と向かって言われたこともありました。

完全に自分が持っている力に対する自信を失った中で始まった闘病生活でした。

精神科医院に通っていた時に、よくお医者さんに言われたのは「必ず昔の元気な岡さんに戻りますからね」っていうことでした。

励ましてくれているつもりだったんだと思います。

一方でそのお医者さんが私に言い渡していたのは「薬を半永久的に飲み続けないといけない、なぜなら、双極性障害は再発リスクが高いうえに、躁状態の時に病識(自分が病気だという自覚)がない場合があるので、それを抑えるため」……という説明でした。

ということは、「薬」を飲んでいない頃の「元の自分」には戻れないってことじゃん? 

なんて思って、なんか、モヤモヤした記憶があります。


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記者としての仕事ができなくなり、会社を辞めることにした私は、病気についてもう少しよく知りたいと考えて、精神保健福祉士の資格を取ることにしました。

その専門学校の授業で、とても面白い話を聞きました。

それは「リハビリテーション」と「リカバリー」の違いについてです。

リハビリテーションの語源は、ジャンヌ・ダルクの時代に遡るのですが、「名誉回復」の意味で使われています。何らかの理由で社会的立場を奪われた人たちが、その立場を回復する、その回復した状態を「リハビリテーション」と呼んでいました。

それが、時代がくだるにつれ、刑事罰を受けた人が社会に復帰する時のことをリハビリテーションと呼ぶようになり、現在では、障害や病気を持つ人が日常生活に適応するための様々な訓練のことを「リハビリテーション」と呼ぶようになっています。

つまり、語源からして、リハビリテーションというのは、「<善>とされる基準に合わない人たちが、できるだけ基準に近くなれるようにがんばる」というイメージが今も残っているのです。

でも「リハビリテーション」って、確かに必要なのかもしれないけれど、その考え方は障害や病気のある人を幸せにするのだろうか? というのがその授業の主題でした。

では、リカバリーとはなんでしょうか。全然わからなかったのでネットで調べてみました。

それによるとリカバリーとは、

「リカバリー」とは、病気や障害による様々な規制を自ら乗り越えて、自分の人生を充実、希望に満ちた生活をすることであります。また、病気や障害によって失われた家族や友人等を含めた人間関係を取り戻し、生活する地域の中で社会関係を再構築していくことです。――福祉用語の基礎知識

とありました。

「乗り越えていく」ための考え方

これを読んだ時私はハッとしました。

自分の病気についてのとらえ方だけではなく、発災後ずっとやってきた東日本大震災の取材を通じて考えていたことに答えが与えられている感じがしたからです。

それは「復興」は、「元に戻る」ことではないということです。

復興とは「失った」状態を受け入れたうえで新たな理想を実現するために、生活や人生を組み立てていくことなんじゃないか。

あの時、「復興」についての定義をおそらく誰もしないまま、「復興」という曖昧な用語をそれぞれに解釈して、目の前の状況に立ち向かっていったことを私は思い出しました。

多分、「現況復帰」「元に戻す」つまり「リハビリテーション」の意味で「復興」という言葉を使っている人が大半だったのではないかな、と思うのです。

だから、震災においては、喪ったものは「もう戻らない」、という合意は今もできていないのではないかしら、とも思います。


Photo by 岩本室佳

今もたまに聞こえてくる「復興できていない」「忘れるな」という言葉は「震災前のように元通りに戻す」という発想に基づいているのではないでしょうか。

でも、冷静に考えてみるまでもなく、もう元には戻るわけがないんですよね。

確かに、障害や災害を被害や「欠損」ととらえるならそれを元に戻したい気持ちになるだろうと思います。

でも、震災や障害を、人生の時間の流れの中で起こるひとつの変化としてとらえたら、別のことができるのではないか。そうしたら、戻らなくても幸せになることはできるし、その方法を考えることができる。乗り越えることができる。

例えば、津波を「被害」とのみとらえると、あのような巨大な防潮堤ができます。


Photo by 岩本室佳

その代わり、この先少なくとも百年にわたって「海が見える景色」が失われます。

津波は海が見せる様々な表情のひとつだととらえたら、また別の形の「復興」があるかもしれないとも思うのです。

もちろん津波によって多くの人達の生命が失われ、その生命への想像力をなくせと言いたいわけではないのです。

ただ、今回の震災で受けた津波から「復興」するとは、高い防潮堤を作ることなのかな? 本当にそうなのかな? と思うのです。

私が書くまでもないですが、震災に関連してお亡くなりになった方はたくさんいて、その遺族の方もおおぜいいらっしゃいます。

私はそういう方々を「忘れるな」という言葉で、2011年3月11日の時点にはりつけにすることもやめました。

彼らをずっと被災者にしておくことも、リカバリーの考え方とは合わないと思うからです。

彼らが望むなら、どんどん忘れ、風化していってもいいと思うのです。

「忘れない」ことや「復興」することで、幸せになれないのなら、忘れてしまって復興をあきらめてでも幸せになることを選んでほしいと思うからです。

私自身、病気になってみて、時間は過ぎていっているというその一点だけでももう元には戻れないのです。

そのことに気がついた時、診断を受けてから5年経っていました。

「病気になる前の私には戻れない。でも、病気になってから新たな自分を作り上げることはできる」

そこをはっきり自覚することがもっと早い段階でできていたら、「病気を持っている私」というキャラクターでどうやって世の中を渡っていくか、ということをもっと早い段階で考えることができたかもしれないなと思いました。

つらい経験を乗り越えて、そしてそれでも手元に残った持ち物を使って、今の生活を組み立てなおすこと。

私は今、自分の生活の再建設に没頭していて、被災地に行くのは年に一度ぐらいになってしまいましたが、私は私の「復興」のために時間を使うタイミングが来ているのだろうととらえています。


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4月に震災と関係なく、会いたい人に会いに福島に行くつもりです。もう一度彼らに会ったら、「ほんなこと、今頃気がついたか、オレらはお前の『復興』のイメージにつきあってやってただけだったんだよ」と、笑ってくれるかもしれません。

著者プロフィール

岡映里
おか・えり

作家・精神保健福祉士

慶應義塾大学文学部卒。2000年に新潮社入社し、週刊新潮、新潮45にて主に事件取材、編集に従事。2011年東日本大震災発災後は福島県双葉郡の取材を経て『境界の町で』(リトルモア)を上梓。2017年新潮社を退職後、フリーランスとして活動中。

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