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『つぶしてやる』と言われた側の論理

  • 藤井誠二 (ノンフィクションライター)
  • 2015年7月22日

作家の百田尚樹氏が発した自民党青年局での「沖縄の2紙はつぶれればいい」とか「普天間は田んぼだった」という言葉は無知丸出しで恥知らずの発言だが、絶対に看過してはいけない。というのは、そういった発言に喝采を送ってしまう議員たちを選んでいるのは私たちだからだ。多くの自民党の政治家たちは、沖縄のメディアに対して百田氏のように口にはしないだけで、同じような思いを抱いている。

「沖縄の反基地の運動はどうせ共産党だ」

とくに沖縄タイムス琉球新報の2紙については、とりわけ政治的に偏向しているという恨み節はかねてよりあった。例えば、森喜郎元首相が「沖縄には3本の赤い旗がたっている。1本は共産党。あとの2本は地元紙の赤い旗だ」と言ったことは有名な話だ。小池百合子議員は沖縄担当相のときに、「沖縄の新聞はアラブに似ている」と言った。つまり「沖縄版アルジャジーラ」だと言いたいわけだ。こうした「沖縄の新聞は偏向している」とほのめかすような発言がこれまでも繰り返されており、それは霞が関の官僚も同様である「犯す前に犯すとは言わない」と記者懇談会で発言したことが報じられ更迭された防衛省官僚の一件は記憶に新しいところだ。また残念なことだが、霞が関を主戦場にしている大手紙の一部の記者までもが、「沖縄の反基地の運動はどうせ共産党だ」という偏見に満ちた発言を非公式の場で口にしていたことを沖縄の新聞記者が何人も耳にしている。


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沖縄県民の「怒り」を、自民党は楽観視していた

沖縄メディアに対するバッシングがここに来てさらに露骨になってきているのは、これまでは札束で最後は懐柔できると考えていた自民党が、もうその手法が通用しないことにいらだちを見せているからだろう。民主党政権時の鳩山元首相の「最低でも県外」発言から始まり、仲井真弘多前知事の突然の変節、反辺野古を掲げた翁長雄志知事誕生という流れの中でつくられた沖縄県民の「怒り」を、自民党は楽観視していたのではないか。

たまたま私は「百田発言」の直前、沖縄の新聞と「内地」の新聞で基地問題に対する温度差があることや、自民党による沖縄2紙に対するバッシングについて、沖縄2紙の幹部記者や、自民党沖縄県連幹部、元沖縄県知事などにインタビューをしてまわっていた(BS11「報道ライブ21 INsideOUT」2015年6月24日放送)。沖縄からは、「沖縄メディアへの内地からの視線」というものがどう見えているのかを聞いてみたかったのである。インタビューのなかで印象に残った、前述の幹部記者2人の言葉を記しておきたいと思う。

琉球新報・松元政治部長の言葉

「沖縄と内地との溝というか温度差のようなものを埋めようと、沖縄の現場感覚で一生懸命書いている内地の新聞記者の人はたくさんいます。しかし、それがうまくいかないのは、国が安全保障の負担を沖縄という限られた地域に、かくも長きにわたって背負わせていることに対して、沖縄の人たちがとてつもなく深い怒りを感じているからです。それに、現在の沖縄の人たちの政治的な意識は、かつての『基地反対か経済か』という単純な二項対立から変わってきています」

こう私に言ったのは、琉球新報の松元剛政治部長だ。政治意識が変わったのは、やはり鳩山発言以降で、長年押さえ込んできたものが吹き出したということなのだが、それまでは本音を封じられていたわけで、むしろ今の方が沖縄の当たり前の民意が表出している状況といえるのではないか。


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安全保障が第一に優先される世界では、基地の存在に苦しんでいる地元住民の姿や現場の空気はかき消されてしまう

基地経済に関して、県内の空気感ががらっと変わったのはここ10年くらいです。そういう空気感は、県内ではひしひと感じられて、今では経済界のリーダーたちも『基地がないほうがはるかに沖縄経済は発展する。統計学的にも証明されている』と言っています。しかし、その辺りは本土では報道されないどころか、霞が関の政治家や官僚は『沖縄は基地がないとやっていけない』と全国各地で言って歩く始末です。そうやって、実際とかけ離れたカタチの沖縄観ができあがっていきます。ただでさえ『安全保障は国の専管事項で、国の安全のためには沖縄の基地が必要だ』という立場と、沖縄の現場感覚・県民生活の皮膚感覚で取材をしている我々沖縄のメディアの立場とでは、絶対的なズレがある。安全保障が第一に優先される世界では、基地の存在に苦しんでいる地元住民の姿や現場の空気はかき消されてしまうんですね。そうしたズレは、沖縄と内地の報道の温度差となって現れます。その溝を少しでも埋めていくためには、我々地元メディアの努力は当然必要ですが、僕らからしてみると内地のメディアにも、もっと沖縄の皮膚感覚で安保問題を解きほぐした報道をやっていってほしいと思います」

「沖縄のメディアは偏向している」という、自民党をはじめとする右派的な人々の物言いは、「基地の補助金なくしては沖縄は生きていけないのだ」という空気をつくりだすための喧伝と背中合わせである。少なくとも沖縄のメディアからはそう見えている。

反基地活動家の機関紙のようだという声は、松元部長の耳にもしょっちゅう入ってくる。そういった揶揄にも似た声は一蹴すればいいと私は思っていたが、琉球新報は逆に慎重に対応していた。

「県民世論に寄り添わない紙面を作っていたら、とっくの昔に琉球新報は葬り去られています。我々は、沖縄の読者から乖離したかたちで肩肘をはって、自分たちの主義主張で紙面を作っているわけではありません。沖縄に暮らし、根を張って取材している我々にとって大事なのは、何度も何度も世論調査をおこなって紙面を作ることだと思うのです。昨年、2014年8月に辺野古の海上工事が始まったときの世論調査では、沖縄県民の8割が辺野古新基地建設に反対し、安倍政権への不支持率は81%にも昇りました。当時、全国とは際立って異なる数字でした。実は辺野古に反対の立場の人は、移設計画ができた1999年に稲嶺元知事が受け入れ表明をしたときから比較しても、低くても65%から高いところで90%と、調査をやる度に上がってきているのです。チカラで押さえ込まれることへの反発が沖縄で根付いていて、それが世論調査にあらわれているんですね。たとえば住宅街の真上を戦闘機が飛ぶと、トタン屋根が揺れるぐらいの騒音になります。食卓の家族の会話が、戦闘機が飛び去るまでの数十秒寸断されるんです。それを1日に70~80回、多い時で120回経験している人の生活ぶりは、なかなか本土で報道されません。そうした地元の現実を追いかけている我々が、住民の立場で紙面を作ることが偏向と言われるのであれば、これは甘んじて受けるしかない。しかし、決して沖縄の状況からかけ離れた報道をしているかといえば、断じてそうではないのです。我々の行っているのは、読者の支持があり、世論調査に合致した、県民世論を反映した報道だと申し上げたい」


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さらに松元氏は、基地を容認する沖縄の人々へのスタンスも率直に語ってくれた。私は、琉球新報は基地推進派の人々への取材がしにくいのではないかという質問もした。

「彼らとは長く培ってきたパイプがあって、今も容認・推進派の柱になっている人とはなんらかの接触はしていますし、これまで取材拒否されたこともほとんどありません。局面局面では、辺野古推進で仕方ないという『消極的な』声も拾ってきています。先日の”反辺野古5.15集会”で、初めて自民党がコメントを出しませんでしたが。我々は、今が沖縄の戦後史の分岐点で、辺野古に基地を作らせることは、未来永劫沖縄に基地を置き続けることになるのではないかと懸念を抱いて紙面を作っています。それによって容認・推進派の方々からご批判を受けているところもあります。たとえば漁協には推進派の漁師もいれば反対派の漁師もいるのですが、推進派には巨額の漁業報償費が支払われることになっていました。その漁業補償費が実際に支払われる前に、口が堅くなってしまっていた現実があります。ですから我々は今も、辺野古移設に賛成する人たちの心理にもう少しアクセスしなくてはいけないという問題意識を持ち続けています」

さらに松元部長は、同じメディア人らから、反基地活動家呼ばわりされることにも反論をした。「活動家」が悪いわけではないが、そういった「色眼鏡」的な言い方が我慢ならないのだろう。

「我々を批判するときに、活動家呼ばわりする根拠はどこにあるんだと言いたいです。逆にそういうことを言うみなさんは、霞が関に毒されているんじゃないかと反論したくなります。沖縄のメディアに対していろいろと批判はあるかもしれませんが、我々がある一定のイデオロギーに基づいて取材していると決めつけるのは、取材という行為を貴ばなければいけない職業的な報道人として、あり得ないように思います。もう少し沖縄の実情と、現場で取材している地元の記者の取材活動を見てほしいです」

沖縄タイムス・長元論説委員の言葉

私が次に会ったのは「沖縄タイムス」論説委員の長元朝浩氏だ。松元氏より一回りも年長で、沖縄の基地問題を長年見続けてきた、社内最年長のベテラン記者だ。やはり彼も、沖縄世論の変化については松元氏と似た意見であった。

2008~2009年あたりから沖縄の世論は急激に変わりました。自民党政権が崩壊し、民主党政権が誕生した時期で、鳩山元首相が『最低でも県外』と公言したことで、空気がわっとできあがりました。沖縄の自民党も県外の方向性で固まってしまったわけです。その空気のなか、2010年に知事選があって、仲井真前知事が〝県外移設″を主張して当選しました。それから毎年、平和の礎でも〝県外移設”だと言ってきた。首相がいる前で、です。そうした積み重ねがありながら、ある日突然、埋め立てを承認したので、メディアも含めて沖縄中がキレてしまったのです。政治家であれば、保守であれ革新であれ、基地受け入れの判断をする可能性はあるでしょう。しかし、それには手順が必要です。〝県外″を公約にも掲げ、公式の場でくり返し主張しておきながら、有権者を欺くような発言をして、ある日突然、誰も知らないところで印鑑を押してしまうようなことは、あってはならないことです。ましてやこれは、沖縄の将来を決定づける事案なのです。その結果、県民から強い反発があり、前回の知事選では10万票の差をつけて翁長知事が当選しました」


Photo by 初沢亜利

長元氏が強調したのは、沖縄が直面する米軍基地のリアリティーが伝わっていないからこそ、沖縄メディアが「偏向」していると言われてしまうのではないかということだ。

「沖縄では、オスプレイがハワイで事故を起こすとかなり大きなニュースとして扱われます。そのほかにも実は日常的に米軍機の部品だとか、いろいろなものが落ちる事件や事故が起きていて、毎日のように報道されているんですね。ところが県外だとそれらはほとんど報道されない。沖縄の基地問題が内地で報道されるのは、政局化したときぐらいです。新聞社のジャーナリズムでは、一番身近なことこそニュースだと言われますが、沖縄は基地問題こそが一番重要なのです。戦後以来ずっと続いてきた日本政府のやり方——米軍基地はできるだけ過疎地とか、僻地などの内地から見えないところに置いておき、あとは交付金やとか補助金で対応するというようなかたちで、沖縄には米軍基地が置かれ続けてきました。基地のない本土の人からすれば、日米安保条約に基づいて米軍が存在することが自分たちの安全を保障している安心感につながるので、米軍を肯定的に受け入れることができるのでしょう。しかし、沖縄は基地から受けるさまざまな被害に、日常的にさらされているのです。そういう状況に立たされれば、メディアは基地反対のスタンスを取らざるを得ません。沖縄で起きていることは、内地に住んでいる人たちにとっては、どうしてもよそごとになってしまうのではないでしょうか。さらに言えば、本土から見て米軍基地問題をよそごとと思わせる仕組みを日本政府は意図的に作ったのではないかと思います。なぜか? そうしないと日米安保がもたないからでしょう」


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沖縄とそれ以外の地域との物理的な距離という問題だけではなく、私たちが意図的に沖縄から目を遠ざけるように仕組まれているとしたら、全国紙の紙面に慣れきった自身の目に疑いを向けなくてはならない。

淘汰されて2紙になったのは、米軍機関紙のような新聞が世論の後押しによって続かなかったから

「戦後すぐ、沖縄にはたくさんの新聞ができました。淘汰されて2紙になったのは、米軍に対し、友好的で立場が近い、機関紙のような新聞が世論の後押しによって続かなかったからです。新聞を使って世論を誘導していると言われますが、あくまでも地域の住民の要求や思い、考えをもとに新聞をつくりあげているのであって、あくまでも住民ありきなんです。住民が何を思っているかが、たえず新聞に反映される紙面づくりを目指してきました。一方で、基地推進派の声を意識的に排除するのはもちろんよくない。沖縄2紙がそうしているという批判があるのもわかります。だから、たとえば北部の辺野古周辺住民の推進派が、なぜ賛成にまわったのかもきちんと報道すべきだと思っています」

自称「保守」の人々は他国の軍隊が主権国家の1つの県に集中している状態が続いている異常さについては怒らない

沖縄の新聞は「偏向」だとあげつらう自民党や自称「保守」の人々は、他国の軍隊が主権国家の1つの県に集中している状態が戦後続いているという異常さについては、なぜか怒らない。本来であれば「愛国心」たぎる彼らこそが、この問題を主権侵害であると真っ先に取り上げるべきことだと私は思うのだが、安保防衛という題目の前に黙り込んでしまう。安保防衛のために国の主権を踏みにじられていても仕方がないというのは倒錯だ


Photo by 初沢亜利

2人の「偏向新聞」への反論からは、沖縄が置かれた状況のうえにあぐらをかき、惰眠をむさぼるような私たちの姿が見えた。百田氏や自民党周辺から出る沖縄のメディアへのバッシングの背景には、私たちの無関心がある。無関心だからこそ、事実を真正面から見ようとせずに、物事を色眼鏡で見て、レッテル貼りをしてわかった気になろうとするのだ。繰り返し言う。百田氏の発言に拍手喝采をした国会議員たちを選んだのは私たちなのだ

「アイデンティティ」にこだわるのは諸刃の剣だ

辺野古での工事は反対行動を起こしている人々を海上保安庁が力ずくで封じこめるかっこうで進められているが、工事が進めば進むほど沖縄の反対の声は大きくなり、県内外からのさまざまなアクションも起きてくるのは誰が見ても予想がつく。今のところは「反辺野古」という流れは、翁長知事の言う「沖縄のアイデンティティ」という、ある種の「沖縄の民族主義」的なものに支えられている。それは地元メディアがこまめに行っている沖縄での辺野古問題についての意識調査を見ていても明らかだ。

「アイデンティティ」は内部の対立の火種にもなりやすい

しかし、「アイデンティティ」は内部の対立の火種にもなりやすい――そもそもアイデンティティは多様で、人それぞれ持つものだからだ。アイデンティティだけに特化したような言説が主流になっていくと、必ずそれについていけない人たちや、同調を示さない人たちがあらわれてくる


Photo by 初沢亜利

政府はその部分にあらゆる手を使って、そうした沖縄のアイデンティティを分断してこようとするだろう。実際に今でも裏工作や策謀も含めた方法で「反辺野古」の世論に亀裂を入れ、「沖縄対沖縄」という内部対立の構図を今よりも露骨につくろうとしている。

今の「沖縄のアイデンティティ」は一見強固に見えるが、実際には一枚岩ではない

過去の沖縄におけるさまざまな反米闘争や反基地闘争でも、アメリカや日本政府は巧みに世論を操ってきた。今の「沖縄のアイデンティティ」は一見強固に見えるが、実際には一枚岩ではない。いったん罅(ひび)が入ると広がって、内部での無用で非生産的な対立を生むことになりかねない。それこそが政府の狙い目だ。アンデンティティレベルでの「対立」が深刻化すれば、辺野古移設問題への影響は避けられない。

だからこそ、沖縄で圧倒的シェアを誇る地元紙などは常に多様な意見をこまかく拾い上げてもらいたい。今よりもっと、世代や立場、考え方の違う人々を意識的に取り上げながら、「メディア」として客観的に沖縄の声を代弁してほしいと思う。

「辺野古問題」には国内外のさまざな政治性を含んだ、右から左まで幅広いオピニオンが集中する。よくも悪くも言論の最前線のような様相を呈している。一方で百田氏のようなデマ性をはらんだ意見を信じ込んでしまう空気も充満している日本で、県民の声をベースにしながら賛否両論を取り上げていくのはたやすいことではない。だが、基地をつくらせようとする側に対抗するためにも、言論機関として幅広く懐の深い「言論の場」であってほしい。


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著者プロフィール

藤井誠二
ふじい・せいじ

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。 『大学生からの取材学』、『アフター・ザ・クライム──犯罪被害者遺族が語る「事件後」のリアル』、『殺された側の論理』、『「壁」を越えていく力』、『体罰はなぜなくならないのか』など、著書・共著書多数。

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