ポリタス

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  • Photo by 岩本室佳

取材拒否の人を取材して

  • 大谷昭宏 (ジャーナリスト)
  • 2016年3月11日

ここ1カ月、ほぼ毎週末、東日本大震災の被災地を取材する日々が続いた。主にテレビ朝日、東海テレビ、CSテレ朝チャンネル2――そう、CSテレ朝チャンネル2は、このポリタスを主宰されている津田さんの番組である。

その取材の成果は番組を見ていただくとして、これらの取材の過程でテレビカメラでの取材を拒否されて、どこの番組にも反映されることにはならなかったのだが、なんとかその声を届けたい、だけど本人には、もうメディアには懲り懲りという思いがある。さてどうしたものか、と悩んでいる1つのインタビューが存在する。

なんだかもったいをつけているようだが、そんな時に津田さんから原稿依頼がきた。忙しい時なので困ったな、と思いつつ、そうだ、この話、このポリタスの読者なら取材対象の気持ちも慮りつつ、あの3.11から5年、複雑に入り組んだ被災地の人々の苦悩をわかってくれるのではないか。そしてアベノミクスだ、2020年東京オリンピックだ、と被災地を置き去りにしてはしゃぐ安倍政権の罪深さもわかってくれるのではないかと考えて、被災地の1人の男性の複雑な立場にふれてみることにした。


Photo by 岩本室佳

福島の中通りと呼ばれる内陸部の人口1万人ちょっとの小さな町。といっても、町域面積は都市部の一般の市の3~4倍はあるという広い町。この町の中心部は原発事故の影響をほとんど受けなかったのだが、町中からの約10キロメートル、標高差600メートルの山間寒冷地が放射能汚染されてしまった。約300世帯、1200人が震災からほぼ2カ月後に避難指示を受け、この地域の方のために作られた町内の仮設住宅や福島市の、いわゆるみなし仮設に移り住んだ。

私は縁あって震災のその年からこの地域を取材。これまで5回ほど訪ねさせてもらっている。とりわけ震災5年となった今年は地域の放射線濃度が下がり、避難指示解除の見通しとなったので、人々の明るい笑顔を期待して地域に入らせてもらった。

もともと冬は雪に覆われる寒冷地、かつては県内でも有数の冷害被害地とされてきたが、住民のたゆまぬ努力が実って、いまでは特産の高原野菜や葉たばこのほか、稲作までできるようになった。

この大事な大地が放射能まみれになってしまったのだ。人々の落胆ぶりは尋常ではなかった。


Photo by 津田大介

そしてあれから5年。やっと放射線は年間基準値、1ミリシーベルト、毎時0.23マイクロシーベルトを下回るようになった。とはいえ、いまはまだ、お試しお泊まり期間。一部の人が5年ぶりに家に泊まってみて、なにか不自由はないか、今後、普通に生活できるのかを確認しているところだ。避難解除といっても、肝心の農業は土壌が完全に除染されない限り作物を出荷するまでにはならず、何年先に営農できるようになるのか、まったくわからない。

地区の区長さんからそんな話を聞いたあと、私たちはテレビでいうところの雑感撮り。地域内をぶらぶらと歩いていた。

もちろん域内に人はおらず、私たちだけだと思っていた。すると、あるビニールハウスの中に人影らしきものが見える。暖房用の重油ボイラーの横のビニールをめくってみると、40代半ばほどの男性が1人、黙々と土を鋤いている。そういえば、この地域は野菜などのほかに生け花、いわゆる、花卉(かき)作りが盛んだとも聞いていた。

テレビカメラとともにハウスに入ろうとすると、男性はカメラを手で制して「やめてけれ、取材は懲り懲りじゃ。おらが突っ走ったばっかりにみんなに迷惑かけたんだべ」と立ちふさがった。

非礼を詫びて、ハウスを出ようとしたのだが、なんだか男性は話をしたくてしょうがないといった風情。結局、カメラなしですっかり話し込んでしまった。


Photo by 岩本室佳

震災から3年の一昨年ごろから、なんとなく、いつまでも農業と離れているのも辛くなってきた。ちょうどそのころ放射能濃度も下がってきた。もともと寒冷なこの地では、寒暖をうまく利用してビニールハウスで色鮮やかな花卉類を作ることができる。そこで7、8人の40代の仲間を募って生け花の栽培に踏み切った。時を同じくして県の方からも、2020年のオリンピックが迫っても日本はまだまだ生け花の需要が満たせない状況で、相当量を輸入に頼ることになる。なんとか、福島が生け花県になるよう、がんばってくれ、と励まされて、みんな元気が出てきたという。

それに花卉は食べるわけではないので、放射能汚染に対する消費地からの拒否反応も少ない。稲や野菜、それに葉たばこより、かなり優位な作物なのだ。

そんな男性たちの農業復帰を県から聞いた地元新聞社やテレビ局が、久しぶりに明るい話題とばかりに連日、男性のもとにやってきて、しばらく男性は「時の人」。


Photo by 岩本室佳

だけど、それも束の間、男性は思わぬ逆風にさらされることになった。というのも、避難指示が出たこの地域は当然、指示が出ている間、農業はできない。国や県からの支援金のほかに、農業従事者には規模の大小を問わず東京電力から離農補償金が支払われる。それが震災の年、平成23年度から当面6年間は無条件で支給されることになっている。もちろん、男性も農業はできなかったわけだから補償金は受け取った。その期限は平成28年、今年度中までであって、来年度以降は未定だ。

そんな男性たちのグループに地域の農業従事者が噛みついたのだ。お前たちが花卉で生活できると言い出したら来年からの補償金は出なくなるかもしれないではないか。花卉と違って野菜も稲も葉たばこも、原発事故の記憶がある限り、出荷しても売れないのだ。そこに花卉をやられたらたまらない。

「あんたたちも花卉をやれ、それで補償は打ち切りにしたいと言われかねないではないか。この年齢で、ずっと離れていた百姓仕事は無理だ。なんとか補償を延長させて、老後はその金を頼りに生きていくんだべさ」

お前が目立ちすぎたのがいけなかった

男性たちは面と向かってそんなことを言われ、いつの間にか、地域の中で孤立していた。それに、口さがない人は、お前たちも補償金をもらっているではないか、その上、花卉で稼いだら二重取りではないか、とまで言い出した。意気投合してハウスに入った仲間も、「お前が目立ちすぎたのがいけなかった」なんて言い出して、ギクシャクし始めた。


Photo by 岩本室佳

男性はしっかり鋤かれた地面に何やら文字のようなものを書きながら、まだ10代の息子さんに4年も5年も補償金だけを頼り暮らす父親の姿を見せたくなかったと、問わず語りに話す。といって非難の声を浴びせた人を悪しざまに言うわけではない。地域に戻ってこられるといっても、その方たちの大半は65歳以上の高齢者。いつ軌道に乗るかわからない農業に頼るより、補償金をこの先もらい続けたい、なんとかと延長に持ち込みたいという気持ちも痛いほどわかるという。

気がつけば、ハウスの中を赤い夕日が照らし始めていた。

復興の遅れ、阪神淡路大震災より数倍遅いスピードなどとひと口で言うが、じつはこの遅れと、そしてとにかくお金、それも国や自治体からではなく、東電という企業からの補償という名のお金で物事を解決しようとする姿勢が、被災地に悲しい、いや哀しい現実を引き出している。そのことを、このポリタスの読者のみなさんならわかってくれると思って、取材拒否者を取材した話を書かせていただいた次第である。


Photo by 岩本室佳

著者プロフィール

大谷昭宏
おおたに・あきひろ

ジャーナリスト

1945年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。68年、読売新聞大阪本社入社。徳島支局を経て、本社社会部記者として大阪府警捜査一課や朝刊社会面コラム「窓」を担当。87年に退社後は、故黒田清氏とともに「黒田ジャーナル」を設立。2000年に黒田氏没後、個人事務所を設けて、新聞、テレビなどでジャーナリズム活動を展開している。主な出演番組は、テレビ朝日「スーパーJチャンネル」、TBS「ひるおび!」など。日刊スポーツにて毎週火曜日にコラム「フラッシュアップ」を連載。著書に「事件記者という生き方」(平凡社)「冤罪の恐怖」(ソフトバンククリエイティブ)、共著に「権力にダマされないための事件ニュースの見方」(河出書房新社)などがある。

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