まもなく東京都議会議員選挙を迎える。
ただの地方選挙ではない。予算規模は13兆円という国家並みの金額で、これはカナダやスウェーデンのそれに匹敵する。都内総生産は約94兆円ほどで、もうずっと世界一を誇っている。まさしく世界有数の都市の選挙なのだ。
投票に行くためには、候補者を選ばなければならない。マニフェストを検索して、ひとつ気がついたことがあった。
どれも、僕らの世代が無視されている。
どういうことか。
各党のマニフェストは、いずれも「もっと輝ける東京へ」のような謳い文句から始まり、豊洲市場移転問題、東京オリンピック・パラリンピック、受動喫煙防止、待機児童問題、私立高校無償化、働き方改革で終わる、といったところだ。
正直、ガッカリだった。
僕たちへの政策が見当たらないのだ。
子育て前、これから社会へ出る若者たちや、社会へ出たばかりのこれからの人々へのメッセージが明確に欠けている。
私立高校無償化は僕たち世代へのアピールというよりむしろ親世代へのアピールだと考えられる。唯一、実現したら負担が減り、夢が叶う学生が出てくるのかもしれない。でも、僕らの世代が当事者としてリアルに問題を感じているのは、大学の奨学金返済にまつわることだ。高校に進めば、親は、世の中は、その先を望む。ありがたいけどきりがない。
受動喫煙防止対策については、「喫煙者」と「嫌煙者」を天秤にかけたポイントレースのようだ。こう言うと推進派は「煙草やその副流煙を吸うべきではない人」に若者が含まれると主張するかもしれない。ただし、喫煙率が下がり続けている日本でどんどん喫煙者の肩身が狭くなっていったことのウラに、煙草そのものを自分ごととして捉える機会が減少している若者がいるということは、ほとんど着目されていないと感じる。
少し背伸びして、待機児童解消に関して検討することにはトライした。が、待機児童解消と共にどう子育て世代やその前の世代に余裕を作っていくかといった、地域を活かした包括的な環境づくりが必要であるはずなのに、形だけ感の否めない内容と感じた。各党によってそれなりに立場の違いはある。しかし本当の論点はそこではないのに、このままでは聞こえのいいバラマキ政策に終止するのだろうなという残念な予測しかつかなかった。
豊洲市場問題も、また税金がたくさんかかることはわかっていたので、この選挙の争点になることは認識していた。でも、まぁ逆に言えばそれだけ。
ちょっと前までの僕は、こうして「無視される」ことに怒り、僕たちが視界に入らない政治家にウンザリして終わっていた。でも、彼らが目を向けないのは当たり前だったのだ。僕たちの世代が声を上げるチャンスは、正式に用意されていなかったのだから。
大人迎合主義の中にいるのは楽だけど、楽じゃない。大人頼みで、どうにかしてくれと頼んでも、大概大人にそんな余裕はないのだ。
でも、世界には声を上げていた若者たちがいた。彼らを知るまで「勝手に声を上げればいい」という選択肢は思いつかなかった。
数年前、台湾でひまわり学生運動が、そして香港で雨傘革命が起こったとき、率いていたのは10代の少年少女たちだった。彼らにはリーダーがいて、みんなで引っ張っていた。
彼らは、自分たちの声で訴えていた。政府と大人を下から見上げているだけではなく、彼ら自身の力で訴えたのだ。
もちろん、彼らがまったく正しいやり方だったのかはわからない。仮に同じことをするとしても、そもそも僕たちにはリーダーがいないし、まとまってもいない。
18歳選挙権という舞台が正式に用意されたことで、少しはマシになったとされるのはシャクだ。日本では若者の絶対数が少ない以上、「正しいやり方」である選挙で、圧倒的に不利なのは変わらない。声量の大きい上の世代にかき消されて、僕らの声は届きにくい。
まとまって大きな勢力になれない僕らにできることは、一人ひとりが、それぞれの立場で声を上げていくことだけだ。
今の時代、ツイートでもなんでもいい、不満をぶつけよう。
僕は声を上げる。
大人なんて関係ない。勝手に声を上げればいい。
はじめ、一つひとつの声は小さく、まばらに見えるだろう。しかし盛者必衰のごとく否応なしに世代は移り変わる。僕たちが今、空気を読んで、背伸びをしながら投票箱に入れる一票の力はあまりにも弱い。だけど、どんなに大きく見える世論だって突き詰めれば結局一人ひとりの声が集まってできているのだから、その逆だってありえるのだ。僕たちが上げた声は、いつか大きな声になって、世論になる。
順当にいくと「未来の有権者の多数派」になる僕たちは、だからこそ、今回の当選だけでなく次の当選を勝ち取るために重要な存在だと認識させるのだ。
僕たちに政策を。
汚い大人たちに、「次の票を育てる」くらいに思わせておくくらいが、ちょうどいい。
僕は声を上げた。