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東日本大震災発生から8年の日に思うこと

  • 佐藤一男 (避難所運営アドバイザー、防災士)
  • 2019年3月11日

多くの命が失われ、多くの財産が流され、生き残った人は明日のことも考えられない時間が続いた東日本大震災発生から8年が経過しました。日本中、世界中の多くの人に支えられた時間です。

この場をお借りして御礼申し上げます。

私は、岩手県陸前高田市米崎町に生まれ、陸前高田市内の海上で「2011年3月11日午後2時46分」を迎えました。


Photo by 大和田祐一

家族は、両親、妻、子ども3人で、全員無事でした。その後、避難所生活を経て、仮設住宅での暮らしをしています。地震発生から避難するまでの間のことは、ウェブ上に公開してありますのでご覧ください。

今回は、2019年3月現在の陸前高田市の現状と、被災地で次に起こりうる問題、東日本大震災のエリア以外でも備えて欲しいことを綴らせていただきます。

陸前高田市の現状

あれから8年、時間は進みましたが、期待したほど復興に関する工事は進んでいないというのが住んでいる人間の実感です。

確かに、高台移転や災害公営住宅の整備、中央商店街の整地や建設は進み、市役所の本設移転も決まりました。ただし、災害公営住宅はできたものの、今も住宅再建を待ちながら241世帯585人が仮設住宅に暮らしています(2019年1月31日現在・岩手県復興局生活再建課資料より)。中央商店街の周辺の土地は今もかさ上げが続いていますし、その商店街の土地も、行政の想定の2割程度しか再建予定がなく、今後の土地活用が模索されています。


Photo by 岩本室佳

生活の再建は、安全を最優先に取り組まれています。

山を削り住宅再建の土地を作り、かさ上げにより津波に対する安全を確保しながら、防潮堤も建設し、生活の安全を確保しています。

ただし、かさ上げの高さも防潮堤の高さも東日本大震災の津波の高さより低いものです。「どうせ、かさ上げするなら津波の高さにすれば良いのに」と思う人もいると思いますが、私は、今の高さで十分、防潮堤はむしろ高すぎるとも思います。


Photo by 岩本室佳

次の大地震、大津波がいつ来るか分かりませんが、次の津波が東日本大震災の津波の高さを越えない保証は無いのです。

東日本大震災で被害の大きかった三陸沿岸は、何度も津波の被害を受けています。今回東日本大震災を起こした、宮城県沖地震。他にも十勝沖地震、チリ地震津波などが繰り返し三陸沿岸を襲ってきたのです。

きっとまた近いうちに襲われるでしょう。

その時に「防潮堤があるから」とか「かさ上げしてあるから」と言って避難しない人がいるのではないかと危惧しています。

実際に東日本大震災の時にも、「防潮堤があるから大丈夫」と、逃げなかった人がいました。逃げなかった人を助けようとして、地域の人や消防団員が危険な目に遭いました。

(東日本大震災以前の陸前高田市内の防潮堤の高さは、明治三陸大津波昭和35年の津波の高さを元に5.5mで建設されていた)


建設中の防潮堤(2018年3月17日撮影)

被災地で次に起こる問題

被災の時に失ったものは、命と財産だけではありません。

陸前高田にとって観光の中心となっていた高田松原海水浴場は松林を含む砂浜が流失し、海になってしまいました。あって当たり前だった高田松原の2kmの砂浜と7万本と言われていた松林は「奇跡の一本松」たったひとつを残して無くなってしまいました。

震災前の陸前高田の人口は2万5千人。通学可能な範囲には大学も専門学校もなく、高校を卒業するとほとんどの人は、一旦陸前高田を離れるのが普通でした。 私も高校卒業後、山形の大学へ進学しました。陸前高田を離れて初めて、海のない市町村があること、松林のない町があることを知ります。 多くの人が、その時になって陸前高田もほかの地域に誇れるものがあることを感じます。それが故郷を愛することにつながり、多くの人が陸前高田にUターンしてきました。

しかし、今は、その誇れるものが失われれ陸前高田を離れたままです。この町を巣立った人々が、いずれ陸前高田にUターンしてくれるかと考えた時に、不安しかありません。


Photo by 岩本室佳

住宅再建が進む中で、コミュニティについても問題になっています。

国の復興支援方針の中で「コミュニティの維持」が掲げられていたことを記憶していらっしゃる方もいるかもしれません。ところが、全員が住宅再建を果たせるわけではありません。公営住宅を選択するもいます。高台移転も元の住民世帯数にちょうど良い世帯数で、土地を用意できる訳ではありません。

結果、隣近所がバラバラになってしまいました。

もともと、陸前高田のような田舎では、隣近所のつながりは、祭でつながり、消防団や地区公民館というつながりもありました。陸前高田を訪れたことがある人の多くは、8月7日の七夕まつりをご存知だと思います。

お祭りも、消防団も、地区公民館もお金が必要です。補助金や御花(寄付金)も使われますが、住民から集めたお金が必要なのです。

自分が住んでいた地区のお金は自分たちのお金で賄わなければならない。

新しく住む家はバラバラになっても、お祭りや消防団や地区公民館のつながりは簡単にはリセットできません。しかし、世帯数の減ってしまった地区、特に若い世代の少なくなってしまった地区はそうしたお祭り、消防団、地区公民館の維持ができないのです。こうしたコミュニティーの問題解決に取り組むには大変な時間がかかります。本格的な世代交代の前に、すぐにでも取り組み始めないといけない問題です。


Photo by 岩本室佳

災害公営住宅を選択した場合でも、問題が発生しています。災害公営住宅の入居基準は、東日本大震災で被災した人ですが、あくまでも公営住宅ですので、所得基準があるのです。3年間は被災した人ならば住むことができますが、3年後にはある程度の収入がある人は退去しなくてはいけません。

結果的に収入の少ない世帯しか住むことがゆるされません。今や、災害公営住宅は高齢者住宅となっています。そうしたコミュニティでは、自治会長や役員のなり手も少なく、自治会運営が難しくなった公営住宅もあり、非常に問題視されています。


Photo by 佐藤一男

災害に対して誰もが備えて欲しいこと

日本は地震大国と言われ、国土技術研究センターによれば「日本付近でマグニチュード6の地震が全世界の20%も発生する」とも言われています。

そのほかの特徴としては、雨量も多く、日本の平均降水量は1,718㎜/年と世界平均の807mm/年の2倍を超えています。

雨量が多い理由は、海に囲まれているので、低気圧が発生すると水分が常に陸に運び込まれることにあります。それらが、梅雨前線、台風、秋雨前線、雪の時期に降り続けるのです。

降水の多くは、山にぶつかり雨になります。災害は平年の降水量が多いか少ないかではなく、平年より多く降った時に発生します。いつも台風が通る九州の西側では、100mm/時間の雨はいつも降っているので問題なくやり過ごせます。しかし、瀬戸内海や東北では、100mm/時間の雨を、ほとんど経験することがないので、同じ100mmでも災害が発生することになります。

自分の地元を知ることは、防災につながります。

こうして、自分の地元を知ることは、防災につながります。

また、あらかじめ備えられることの一つとして、感震ブレーカーの設置をおすすめします。阪神淡路大震災では、地震の二次被害として通電火災が問題になりました。地震で家具などが倒れ、コンセントにつながったままの暖房器具やショートしたコードから火災が発生するのです。地震の際に避難する時にはブレーカーを落とすことを徹底してほしいのですが、大地震で電気が止まるとそのままにしがちです。地震発生と同時に自動でブレーカーが落ちると、あとで不安になることもありません。できれば、電気が止まると自動で点くライトもセットで用意しておくと良いと思います。

災害が発生した、または発生しそうなとき、自宅が無事で安全な場所にある場合は避難所に行く必要はありません。

ただし、店にあるものはすべて売り切れます。災害の規模が大きくなれば、物流も止まり補充もままなりません。支援は、被害のひどいところに向かい、途中の地域まで支援が届くには、長い時間を要します。

その対応策として、水、食料、医薬品、燃料などの備蓄が必要です。最低でも3日間、できれば1週間と言われていますが、被災を免れても物が届かなくなりそうな地域では、2週間分の備蓄が必要だと思います。

そんなに備蓄を置くスペースがないという方も多いでしょう。ぜひ、普段使っている水、食料、医薬品、燃料などを無くなる前に買う、多めにストックしておき先に買った物から使うという「ローリングストック」を生活の中に取り入れてください。

3月11日ついて

3月11日は鎮魂だけの日ではありません。

3月11日は鎮魂だけの日ではありません。
誰かの誕生日であり、誰かの結婚記念日であり、誰かの卒業式でもあります。

お誕生日の人、おめでとうございます。
結婚記念日の人、おめでとうございます。
卒業式の人、おめでとございます。

記念日の人は、周りの雰囲気に流されず、ちゃんと祝ってください。
避難所でも仮設住宅でも、みんな笑顔で暮らしていました。
被災地でも、記念日はしっかりとお祝いしています。
復興に笑顔は欠かせないものですから。

最後に

現在の科学では、地震も津波も台風も止められません。

毎年、多くの命が地震や台風や大雨や豪雪や竜巻や土砂災害の犠牲になっています。しかし、皆さんがしっかりと備えれば、大きな地震も台風もやり過ごすことができると信じています。

しっかり備えること、それがこれまでの災害で犠牲になった人への最大の供養だと思います。あなた自身のため、家族のため、大切な人のために備えを知り、取り組んでください。

せめて、3月11日は、備えに関心を持つ日にしてください。

著者プロフィール

佐藤一男
さとう・かずお

避難所運営アドバイザー、防災士

昭和40年(1965年)陸前高田市に生まれる(49才) 昭和59年 3月 岩手県立高田高校 卒業 昭和59年 4月 山形大学工学部 入学 平成 元年 4月 ミクロンメタル株式会社に入社 平成 元年 7月 山形大学工学部 退学 平成 4年4月 ミクロンメタル株式会社退職 陸前高田に戻り家業の漁業を継ぐ 平成23年3月 東日本大震災で被災 米崎小学校体育館避難所の運営役員となる 平成23年5月 米崎小学校仮設住宅に入居(自治会長) 平成23年10月 桜ライン311を任意団体として立ち上げ(副代表) 平成25年4月 陸前高田市仮設住宅連絡会を立ち上げ(副会長) 平成26年6月 防災士の免許を取得、防災士としての活動を始める。 現在に至る ※ 桜ライン311は、平成24年5月に非営利活動法人(NPO)となり、平成26年5月に認定非営利活動法人(認定NPO)となる 役職として、 認定特定非営利活動法人 桜ライン311 副代表 陸前高田市消防団本部 副本部長 陸前高田市米崎町コミュニティー推進協議会 理事 陸前高田市 避難所運営アドバイザー

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