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  • Photo by 岩本室佳

ゆっくり歩いて行こうと思っていた

  • 浅生鴨 (作家、クリエイティブ・ディレクター)
  • 2016年3月10日

東北にときどきぶらりと訪ねて行く小さな港町がある。その町には何人かの友だちが住んでいて、うまく時間が合えば一緒に食事をしに行くこともあるし、夜遅くまでバカ話をすることもある。誰の都合もつかなければ1人で町の様子をなんとなく眺めてから、お決まりの土産物を買って帰ることになる。そんなふうにして僕はその町を訪ねている。

そこに今月いっぱいでひとつの役割を終えようとしているラジオ局がある。5年前、町の人たちが中心となって、震災からわずか41日後に開局した臨時災害FM局だ。どうしても伝えたいことがあるのだという強い思いから、地元の人たちがたどたどしく始めた放送も、気づけばもう5年近く続いていることになる。何かを大げさに語るのではなく、理想論を振りかざすのでもなく、ただ町と一緒に歩もうとした小さなラジオ局は、色も音も失いかけていた町に若者たちの明るい声を届けてきた。

いよいよ放送が終わると聞いた多くの人から「とても残念だ」「続けて欲しい」という声が届いているらしい。でも僕は終わることを知って、どこかホッとした気持ちになっているというのが正直なところだ。

立ち上げをほんの少し手伝ったことがきっかけで、僕はそれまで縁もゆかりもなかった港町にときどき遊びに行くことになったのだけれども、ラジオ局に関して言えば、立ち上げたあとはイベントなどを手伝うくらいの関係で、たまにスタジオを覗いたり、メールのやり取りをしたりはするけれども、特にこれといったことはしていないし、たいして役に立ってもいない。そんなわけで、あのラジオ局について僕に話せることはほとんどないし、話す資格もないと思っている。

だから当事者たちが見れば、なんと好き勝手なことを言っているのだろうと怒られてしまうかもしれないけれど、終わると決まって僕は本当に心からホッとした。これでようやく彼らもあの日から解放されるのだという気がしたのだ。


Photo by 岩本室佳

東京などにいるスタッフからそれなりのサポートを受けていたとはいえ、人員も資金も不足する中、わずかなメンバーだけでほとんど休むことなく5年近くも放送を出し続けるというのは本当にすごいことで、いわゆる大手のメディアにもなかなかできることではない。たぶんあのラジオ局は、多くのものを失った彼らにとって、自分たちがここにいるのだと実感できる大切な場所になっていたのだろう。だからこそ、毎日たいへんな思いをしながらも、これまで続けることができたのだ。僕はそう思っている。

でも、臨時の放送局はあくまでも臨時の存在なのだ。町は前へ向かって進み出している。まだその歩みは小さいけれど、5年という長い長い助走期間を経て、ようやく、そして確実に前へ向かって進み始めている。


Photo by 岩本室佳

そしてその歳月は同じように人も変えていく。

高校生だったスタッフたちはもう社会人や大学生になっているし、子供の生まれたスタッフだっている。誰もが新しい道を歩き出しているのだ。そんな中で、いつまでも「臨時」「災害」という名のつく放送局が残り続けてはいけないように僕はずっと感じていて、だから終わるのはいいことだし、もっと早く終わってもよかったんじゃないかとまで考えている。

5年という時間は、その町で暮らす人たちだけではなく、僕たちのこともずいぶんと変えたように思う。

ときどき東北へ行くことを話すと「復興支援をされているのですか」と聞かれることがある。「ただ遊びに行っているだけですよ」と僕は答える。「友だちを訪ねているだけですよ」と僕は答える。そう。僕は復興支援などしていない。

大きな被害にあった地域が日常を取り戻すには気の遠くなるほどの長い時間がかかるだろう。あの日、僕が最初に感じたのはそういうことだった。だから夢中にならないと決めていた。全力疾走していく人たちのあとを追わず、僕はゆっくり歩いて行こうと思っていた。どうすればゆっくり関わっていけるのかはわかっていなかったけれど、そうでなければ僕には続けられないだろうということだけはわかっていた。

それでも初めのころは僕の中にも、わかりやすく役に立ちたいという思いがあったはずで、だから僕はラジオ局の立ち上げを手伝ったのだろう。いやらしい言い方をすれば僕の中にも強い「支援欲」があったのだ。あまりにも大きな災害のどうしようもない虚無感の中で、自分が良いことをしているという満足感に酔おうとしていたのだ。そして、町に何人かの友だちができたおかげで、僕はその酔いから醒めることができたのだろうと思っている。

5年が経ち、何もかもが失われた場所には今、新しい町がつくられようとしている。訪れるたびに町の姿はどんどん変わっていく。こんな面白い体験は、そうそうできるものじゃないし、何よりも友だちが町づくりに関わっているのだ。だから僕はその町へ行く。もう何かの役に立つ気はない。その町へ行くことが楽しいから行くだけのことだ。


Photo by 岩本室佳

ゆっくり関わっていくための方法を見つけるには、少しばかり時間がかかったけれども、今ではもうわかっている。自分が楽しめることを、できる範囲でやる。けっして無理はしない。それが今の僕のやり方だ。

メディアは年に一度だけ、広げた地図の上に「被災地」という地名を書き込み、そこに暮らす人たちに「被災者」という名前を張りつけて、神妙な顔を見せる。テレビカメラに切り取られた映像を見た人たちは「あの町って、もう復興したんですね」と無邪気に言う。「ずっと忘れない」と言っていた人たちも、すっかり忘れている。それをもどかしく感じる人もいるだろう。でも、そういうものだと最初からみんなわかっていたはずだ。人は忘れるものだし、関心も長くは続かない。ものごとは流行れば流行るほど、早く忘れられてしまう。だから僕はゆっくり歩こうと決めたのだ。

「支援」だとか「支える」といった言葉を張りつけた瞬間に、僕たちの行動は「特別なもの」になってしまう

あのとき、被災地の復興支援という大きな旗を持ってそれぞれの場所へ向かった人たちが、少しずつ東北から離れ始めていると聞く。支援の旗を振り続けるには体力がいるし、お金だって必要だ。「支援」だとか「支える」といった言葉を張りつけた瞬間に、僕たちの行動は「特別なもの」になってしまう。「特別なもの」は永久には続かない。


Photo by 津田大介

何かを忘れずにいたいと思うのであれば、今ここでやるしかない

どんなときでも僕たちは今ここにいる。過去や未来にはいられないし、ここではない場所にいることもできない。何かを忘れずにいたいと思うのであれば、今ここでやるしかない。あたりまえのことにするしかない。

だから僕は支援などしない。ときどき友だち会いに行くことや、メールやSNSでバカ話をしたり、愚痴をこぼしあったりすることは支援なんかじゃない。僕はただ、その町の人たちと友だちになったというだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

友だちが住んでいるから訪ねる。面白そうなイベントがあれば見に行く。祭りが開かれるときに参加する。旬のものが美味しそうだから食べる。それは支援活動なんかじゃなくて、僕にとっては日常生活の延長でしかない。本を読んだり、ライブに出かけたり、映画を観たりするのと同じことで、楽しければ続けるだろうし、飽きればやめるだけのことだ。

その港町は5年という歳月をかけて、いつのまにか僕の日常に紛れ込むようになった。ぶらりと遊びに行き、ときどきメールを送り、たまには名産品を取り寄せる。そんなことを続けているうちに、その町は僕のふんわりとした日常の一部になった。それがいつまで続くのかはわからないし、無理に続けようとも思わない。これからも僕は自分のやりたいと思うこと、自分が楽しめることをやるだけだ。他の人たちがどう考えているのかは知らないけれども、それくらいの関わり方が僕にはちょうどいいし、それしか僕にはできないのだ。

もうすぐ春が来る。3月いっぱいでラジオ局の放送が終わっても、町はいつもと同じようにそこにある。僕の日常の延長としてそこにある。それはふとしたときに故郷を思いだすのに近い感覚なのかもしれない。第二の故郷なんて言うと、どうも嘘っぽいし、僕自身も本気でそうは思っていないから、歯の浮くようなことは言わない。それでも「ただいま」と言えば「おかえりなさい」と迎えてくれる人たちがいる場所があるのはとてもうれしいことだし、故郷はいくつあっても構わないと思う。だから僕はまた「ただいま」を言うために、あの港町へ行くだろう。それは復興支援などではない。いつもと変わらない僕の日常だ。放送が終わって時間のできたラジオ局のスタッフたちが、きっと美味いものを食べさせてくれるに違いない。

さあ、そこまでゆっくり歩いて行こう。


Photo by 岩本室佳

著者プロフィール

浅生鴨
あそう・かも

作家、クリエイティブ・ディレクター

1971年、神戸出身。ゲーム会社、レコード会社、デザイン会社などを様々な業種・職種を経て、2004年からNHKに勤務。番組制作ディレクターとして「週刊こどもニュース」などの演出を担当。2009年にNHK広報局のTwitterアカウント「@NHK_PR」を非公式に開設。番組制作などの合間に行ったTweetが注目を浴び、"中の人1号"として話題を集めた。2014年にNHKを退職し、現在は広告の企画・制作、執筆活動などに注力している。ペンネームの浅生鴨は「あ、そうかも」という口癖が由来のダジャレ。著書に『中の人などいない @NHK_PRのツイートはなぜユルい?』(新潮社)、短編「エビくん」『日本文藝家協会・文学2014』収録(講談社)、「終焉のアグニオン」(新潮社「yomyom」にて連載中)

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