ポリタス

  • 論点

いつか3月に

  • 浅生鴨 (作家、クリエイティブ・ディレクター)
  • 2015年3月13日

スピード復興と言われる街

初めてその街を訪ねたのは、まだ寒さが残っている時期で、目の前に延々と積み重なる被災材の山の高さに、僕はただ驚いていた。たしか、雪がちらついていたと思う。

それから町を訪れるたびに、被災材の山は量を減らし、壊れた建物の土台と、海ではない場所に横たわっていた漁船が取り除かれると、そこにはただの原っぱが広がった。何もない場所に信号機が立てられ、ほとんど出歩く人のいない深夜の道に黄信号が点滅した。それでも街灯が点るようになると、その光は見通しの立たない真っ暗な街の中で、ここにも人が住んでいることを感じさせた。

海までのわずかな土地には、やがて土が盛られ、ゆっくりとかさ上げがなされた。原っぱに置かれたプレハブ小屋に、ちょっとした商品を並べる人が出てきて、高台には小さな喫茶店が作られた。港に大きな冷蔵庫が設置され、倒れていたビルは解体された。

あの直後に中学を卒業した生徒は、一度も鉄道で通学することなく高校を卒業した。その鉄道の駅は、ようやくこの3月に再建される。きっとその日のニュースでは、新しい駅舎の建物が画面いっぱいに映しだされるだろう。でも、三脚の上に据えられたカメラが周囲を映し出せば、そこにはまだ何もないことがわかるはずだ。


撮影:小岩井ハナ

宮城県にあるその小さな港町は、スピード復興のモデルケースだと言われ、全国からメディアが集まってくる。「どうしてこんなに早く復興できたのでしょう」と全国ニュースでキャスターが尋ねる。バカな質問だと思った。

4年だ。

4年という時間を経て、それでもまだ駅が一つ再建されただけじゃないかと僕は思う。

いったい東京で一つの駅が4年も失われることがあるだろうか。4年間、一つの街がずっと原っぱのまま放置されることがあるだろうか。東京ならば、とっくに大規模開発がなされ、巨大なビルが建ち並んでいるはずだ。


撮影:小岩井ハナ

それでも、報道を見た人たちは、ああ、駅ができるんだね、復興が進んでいるんだね、スピード復興なんだね、と思うだろう。もちろん街は前を向いている。その場に立ち止まっているわけじゃない。若い人たちが中心になって、誰もが懸命に汗をかいてきた。そのうち息切れしてしまうんじゃないかと心配になるほど、彼らは全力で走って見せた。そして、それはかなり上手くいっているように思う。

でも、彼らは待ったのだ。ずっと待ったのだ。決して「こんなに早く」なんかじゃない。それは、待って待って待ち続けてきた再生への第一歩なのだ。

そうして、まもなく4年が経つ。

僕たちは忘れていく

3月11日。当事者ではない多くの人たちにとって、東日本大震災は、その日にだけ存在する過去の災害になりつつある。その日だけ、僕たちは彼らに「被災者」を演じることを要求する。だからと言って毎日の現実がなくなったわけではない。僕たちが後ろめたい思いもせず、そっと忘れていく間も、現実はずっと続いている。

耐久期限をとっくに過ぎた仮設住宅に暮らしている人たち。心に大きな傷を抱えたまま先の見通しが立たずに悩み続けている人たち。そして、街をつくるために奔走している人たち。その誰にとっても、あの災害は忘れられる過去の一日などではなく、今もずっと続く現実そのものだ。

希望と絶望。その二つは正反対のように見えて、時にほとんど同じ場所に並んでいる。いよいよ新しい街づくりが始まるのだと、笑顔で立ち上がる人たちもいれば、何もできすにその場にじっと座り続けている人もいる。それぞれの事情は大きく違っているし、その差はゆっくりと広がっている。そして、僕たちはそれを知ろうとしない。


撮影:小岩井ハナ

東北の復興。

言葉にするとあまりにも重く、僕たちの手には負えない気がしてしまう。僕たちは、被災した当事者でもないのに、何も失っていないのに、自分が何かを言ってもいいのだろうかと躊躇する。たいして深く知りもしないのに、わかった気になっていないだろうかと不安になる。普段はすっかり忘れているくせに、急に何かをやり始めてもいいのだろうかと悩む。復興なんて、国や自治体や大きな企業や、専門的にやっているNPOなどでなければ無理だし、そのために彼らがいるのだろう。そう言って僕たちは、自分の暮らしの中から、少しずつあの日を遠ざけていく。

それはその通りなのだ。確かに僕たちにできることはあまりない。

けれども、必要なのは大きなことばかりではない。もちろん、法律や行政や資金や人足といった、大きな力がなければできないことはとても大切で、それがなければ何も動かない。

でも、僕たちにだってできることはある。それは、そんなに大げさなことじゃない。難しい課題を解決しようなんて考える必要もない。「支援」や「寄り添う」といった、背中がムズムズするような言葉を口にする必要もない。

まずは行くこと。それでいい。それだけでいいんじゃないかと僕は思っている。たとえ小さな行動でも、たとえ回数が少なくても、自分の体を実際に動かしてみると、わかることがたくさんある。

だから、もしも何かしてみたいと思うのなら、行ってみることだ。見る。聞く。話す。知る。買う。食べる。知らせる。それらはすべて、行くことから始まるのだから。


撮影:小岩井ハナ

友だちに会いに行く

どこに行けばいいのかわからない?

だったら、いい方法がある。友だちを作ることだ。もちろん最初は友だちなんていないだろうから、友だちがいる人と一緒に行けばいい。友だちの友だちは友だちなのだ。

僕は震災前の東北をあまり知らない。知っているのは破壊された_港町の姿だけだ。でも、そこから僕の東北は始まっている。そして、年齢も性別も職業も関係なく、そこで暮らす人たちと友だちになった。僕と彼らが一生の友だちでいられるかどうかはわからない。いつか疎遠になるかも知れないし、もしかするとケンカ別れをするかも知れない。でも、それは当たり前のことで、僕たちは子供のころからの友だちと今もずっと交遊しているかといえば、そんなことはない。むしろ「一生友だちだよ」とか「ずっと忘れない」なんてことを言うほうがおかしい。

「元気? 最近なにしてる?」

「やあ、遊びに来たよ」

「ここは昔どうだったの?」

友だちの近況を知るのはごく自然なことだし、友だちを訪ねるのに理由などいらない。そして、訪ねるときには、今は迷惑じゃないかな、なんてことも少しは考える。それが普通の友だちづきあいだ。

忙しければ、なかなか会えないことだってあるだろう。でもそれを気にする必要もない。「行かなきゃ」と、スケジュールをやりくりして、何とか時間をひねり出すのではなく「ちょっと時間が空いたら行こうかな」という気軽な感じでいればいい。行けるから行く。会いたいから会う。そこには何の義務感もない。自分自身ができることを、やりたいことをやるだけなのだから。

友だちに会って何をするというわけでもない。バカ話をして大笑いするだけだ。食事をして、お互いに仕事の悩みを愚痴って、ときどき街の話をする。ただそれだけ。でも、そんな緩い関係が長く続くことのほうが「支援」よりも「寄り添う」よりも、僕にとっては心地がいいし、何よりも楽しいのだ。


撮影:小岩井ハナ

昔に比べれば、友だちの近況だってすぐにわかる時代だ。今は何をしているのかな。こんなことで困っているんだな。あんなことを楽しんでいるんだね。そういった日常の些事を共有すること。ときどき遊びに行くこと。互いに顔を見せ合うこと。そして、それを楽しむこと。それが僕たちにできることなのじゃないだろうか。

あの日を忘れたいという気持ちと、忘れてはいけないという想いと、忘れられたくないという願いは、複雑に絡み合って、僕たちそれぞれの心の中にそっと隠れている。絡み合うそのバランスは一人ずつみんな違っているし、年月とともに少しずつ変わっていくだろう。だからこそ、僕はこれからも友だちに会いに行こうと思う。

3月。東北にも少しずつ春の気配が訪れる。かつてその街の人たちは、この季節が大好きだったという。春の訪れを知らせる魚が水揚げされ、しだいに暖かくなってくる毎日を、うきうきしながら迎えたのだろう。

今、彼らにとって3月は、大好きな季節だとは言いづらくなっているかもしれない。

いつの日か、彼らが新しい3月を笑顔で迎えることができるようになるといいな。そしてそこで僕も一緒に笑っていたいな。そんなことを思っている。


撮影:小岩井ハナ

著者プロフィール

浅生鴨
あそう・かも

作家、クリエイティブ・ディレクター

1971年、神戸出身。ゲーム会社、レコード会社、デザイン会社などを様々な業種・職種を経て、2004年からNHKに勤務。番組制作ディレクターとして「週刊こどもニュース」などの演出を担当。2009年にNHK広報局のTwitterアカウント「@NHK_PR」を非公式に開設。番組制作などの合間に行ったTweetが注目を浴び、"中の人1号"として話題を集めた。2014年にNHKを退職し、現在は広告の企画・制作、執筆活動などに注力している。ペンネームの浅生鴨は「あ、そうかも」という口癖が由来のダジャレ。著書に『中の人などいない @NHK_PRのツイートはなぜユルい?』(新潮社)、短編「エビくん」『日本文藝家協会・文学2014』収録(講談社)、「終焉のアグニオン」(新潮社「yomyom」にて連載中)

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